迷い、選び、島に揉まれ
ものすごいスピードで五島に来て1ヶ月が過ぎた
この家での生活にも、というか島の暮らしにも徐々に慣れてきている。たとえば、車に鍵をかけなくなってきたし、ふつうに1階の窓を開けたまま外出したり寝たりしている。元々そういう本質をもっていたのか、島の風土に流されているのかどうだろう。島の風土とはいえ、他人の言葉を全部鵜呑みにするのはいかがなものか。
衝撃的だった最たるものが、近いうちに引っ越すために内見させてもらった一番栄えてるエリアから外れた地区の空き家だ。玄関ドアに鍵が付いて無かった。鍵をかけるとかかけないとかじゃなくて、かけられなかった。
「ここで生まれ育ってきて鍵なんてかけたことなかね」
と お世話好きの大家さんは言っていた。カルチャーショックでござる。
今は、島の中心地に住んでいる。3LDKぐらいかな。そんぐらい広い家を1人で使ってるから、2階へはほとんど上がらない。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジ、カーテンは備えついている。炊飯器や包丁、ドライヤーをAmazonで買った。送料が別途かかるかと思いきやそうでもないから良かった。布団は知り合った人に譲ってもらった。テーブルもイスもなく、今も段ボール箱に布を広げて食卓代わりにしている。座布団をリサイクルショップで買った。トイレはボタンを押すだけ水が流れる水洗くみ取り式。今のところ不自由はないかな。網戸の建て付けが悪く、スキマができているのがちょっと不都合ってぐらい。何人もに「そこムカデ出るよ!」と言われたが未だ見てないのは気付いてないだけだろうか。
この家は短期滞在住宅という、市の移住支援制度の中の物件で、最長3ヶ月滞在できて家賃がかからない。事前に相談してた時や下見で来島した時も6月頃まで全て埋まっていると言われ続けてきたのに、急にキャンセルが出たと連絡をもらうことができた。上述の施錠できない空き家も、移住後市役所に直接出向いた時に空き家バンクのリストにあるめぼしい物件は軒並み埋まっていた上で、奥に座ってたおっちゃんから未掲載の物件を紹介されたものだ。
単にラッキーだっただけかもわかんないけどね、きっと市の方である程度の選別がされているんだろうなぁ。移住検討者が増えてきてるなかで、コイツ本気やなって思えるヤツに優先的に物件を紹介してる気がする。とか言って顔がタイプだったからだったりして。ありえるな。超絶顔面多量ホクロフェチ女がいたのかもわからん。親に感謝だ
兎にも角にも
移住前の事前オンライン相談(オンライン移住セミナー)➡下見来島(市役所訪問)➡来島後に市役所に物件探してるアピール
これらをしたことが功を奏したように思う。から移住しに来る際はこの段取りをぜひ。読んでる人はみんな来ちゃえばいい。そんなんなったら絶対楽しいのになぁ。知らんけど
最近ひとつ仕事をはじめた。週3回ほどファームで、今はサツマイモの苗植えなどを手伝っている。農業関連は、オーストラリアでのバナナファーム以来だ。環境も規模も全然違うけど、自然に寄り添って体を動かすという点は一緒。やっぱり座って液晶画面を凝視してキーボードをカタカタ鳴らす仕事よりもよっぽど性に合ってるなぁと感じる。
一次産業には興味があったけど、農業がしたい!という感じではなかった。なんなら今は最長3ヶ月間は家賃かからんし、しばらく働かなくてもいいやー。とも思ってたんだけど、その会社の方を紹介してもらって会って話した時に脳が電波を受信した。この人に関わっていったら島暮らしおもしろくなりそうだなーってオオゲサに言えばそんな直感がした。
朝から夕方まで働いた日当は、島に来る前に千葉にいた頃、3,4時間で稼げた額しか出ない。33歳にもなってアルバイトという選択をすることにためらいも当然感じた。同年代の友人の多くには理解し難い話だろう。
だけど自分の直感を信じてみることとする。目先の収入じゃなくて、ゆく未来の自分のため。よりワクワクするほうへ。自分の宿をやりたいその夢につながる経験に人脈にきっとなるさ。そう目線を高く見据えていこう。よっしゃ、カッコよく締まったな
1年に数回、条件が重なった干潮時に島と島をつなぐ道が現れる「トンボロ」をジオパークエキスパートの方と歩いた。NBC長崎放送の取材スタッフにインタビューされたから言ってやったぜ。「地球感じた」ってな
今日も目当ての魚が釣れない
このままセンスがなくて釣果がめっきり上がってこなかったらいっそ島を出ようか
教会ではカトリック信者が歌を歌ってる
昨日はでっかい大根をもらった
毎日16時過ぎに聞こえるフェリーの汽笛が
自分は今、島にいるんだと思わせる
島サバイバル開始
毎日がおそろしく早い
島での生活ってのんびりした時間が流れていそうって思うけど、それはそうゆう環境が整ってはじめて感じるものなのかもしれんな
3月中旬に同棲をやめた。彼女にとって俺は生涯悪者かもしれないし、すでに記憶から消去されてるかもしれない。それから2ヶ月が経とうとしている中、さすがにその時の話をする機会は無くなりつつある。あれだけ悩んだ決断に後悔の念はなし。
それから1ヶ月以上かけて車で千葉からのんびりこの島まで向かった。仲良い学生友達はもちろん、昔の同僚、小学校ぶりの同級生、外国で会ったヤツら、色んな街に立ち寄った。
昔話に花が咲き、愚痴話に笑みこぼれ、環境は違えど変われど当人の良さは変わらないね。就職して転職してない人は10年選手になってるし、今や家を買い子を育ててる同年代達は尊敬に値する。30代も半ばに差し掛かる年齢なら当たり前なのかもしれないけど、それを第一に世界一周後は自分の情熱を将来の家族に注ごうと思ってたけど、俺はまた独りで自分の次の夢を目指そうとしてる。自分はそういう人間なんだろうか。それとも無いものをいつまでもねだり続けてるおこちゃまなんだろうかな。
どこの子も本当に可愛くて、せっかく仲良くなれたのにしばらく会えずに忘れ去られ、「はじめましてオジサン」と言われるのが今から悲しいよ。ともあれ、のんびり刻みながら長崎に向かう旅はなかなか楽しかった。
宿をとったり、家に泊めてもらったり、時には車で寝たり。快活クラブは数百円でシャワーも飲み物もモーニングも漫画もあるからよく利用した。野菜不足が懸念された時はコンビニとかスーパーのサラダをがしゃがしゃ食べたけど、栄養やっぱないのかなーどうなんだろう。
千葉→埼玉→東京→神奈川と進んでから関東圏を脱出すると、途端に誰にも会ってない独りぼっちの時でも欲がでた。ただ通過するだけなのに、富士宮市?あー焼きそばか、食べようーとか。道後?あー温泉か、入ろうーとか。日本ってちょっと移動しただけで様々な魅力があるのがスゴイよね。あとよくこんな山々に穴開けたなぁってしばしば思ったな。山ばっかの国でここまで道を張り巡らせた日本のトンネル技術すげぇ。
そんなこんなで、長崎の五島列島は福江島に4月27日に来て、2週間が経ちました
ここでいずれは自分の宿をやりたい。世界中で受けた親切をできる限り還元できればいいな。漁業も絡めたい!農業も詳しくなりたい!結婚もしたい!子育てもしたい!うをー!
なんていう妄想と身ひとつで上陸した次の日、2ヶ月前の下見で来島した時に知り合った子と飲みに行く。その矢先に新しい出会いがあり、GWで忙しくなり人手が足りないホテルのモーニングで6日間働いた。およそ2ヶ月ぶりの労働はすごく新鮮に感じたし、脳に刺激を与えた。2ヶ月前以前も、個人事業主としてひたすらAmazonのダンボールとしか向き合わなかったので、他人に教わりながら他人と仕事をするのに懐かさすら覚えた。
それを皮切りに、毎日誰かしらの連絡先が増えていく日々が続く
そのホテルの社長に今手掛けてる事業を紹介してもらったり、モーニングスタッフの誕生日飲みに呼んでもらったり、人から人へ、場所から場所へ、一反もめんのようにゆらゆらと。縁もゆかりもないところに独りで来た人にとって、みんないい人だし繋げてくれて本当嬉しい。ただ実際今は島のいいところしか見えてない状態だろうし、少しずつ島の人たちに自分が認知されていく中で、どんな風に思われているのかはわからない。それほど島のネットワークは狭いし噂が広まるのは一瞬だとみんな口を揃える。
まーそんなの懸念したところでしょうがない
取り繕ったところでそんなメッキはすぐに剥がれる
本音と誠実さでゴリゴリ走ってれば応援してくれる人がきっと見つかる…気がする
いろんな島民に馴染みたくて、とあるカフェの良くしてくれるオーナーさんと山登りイベントに参加し、そこにいた方と別の山登りイベントに行き、ボランティア団体の方とつながり。海辺でUターンで新規事業はじめたい人に知り合ったり。今いる仮住まいのアパートのお隣さんと交流があったり。
いい感じに交流の輪が広がっている気もするけど、部屋で独りでいて、ふとした時に自分の決断と行動が心配になったりする。世界一周中だって五島までの移動中だって、なんだってネガティブになる瞬間はいつも孤独な時だ。その時間が何も生まない無駄な時間だとふと気付いた時だ。そろそろ一皮むけろ俺のメンタル。
はじめて釣れたのはちっちゃいベラ。アラカブ(カサゴ)
昨日は大量のいいサイズのアジが足元でずっと泳いでたのに全然釣れんかった
山登った時に教えてもらった干潮時の浜では、特大サイズのハマグリがゴロゴロ獲れた
密猟じゃないヨ
毎日がおそろしく早い
今はまた仕事しないニート生活に戻っている
1ヶ月後どこで何をしているのかな
サバイバルはまだはじまったばかり
まだ島のほんの少ししか知らない
赤いフリースを着たオヤジ
その日は島の端っこにある民宿に泊まることにした。
夕方に到着して部屋に案内してもらう。
面倒くさいのか、もうすでに布団が敷いてあった。その隣に大きいこたつが置いてあり、なんともフトンフトンした部屋になっている。
できれば洗濯をしたくて、洗濯機と乾燥機はあるのか尋ねると、「ない」とピシャリ。嫌いだから置くのをやめたとの事。きっとマナーの良くないお客さんがいたために、迷惑を被ったのだろう。
作りもだいぶ古く、トイレのドアがキーキー鳴いたり床を歩くとミシミシ聞こえる。かなり雰囲気があった。
独特の雰囲気をもつお婆とひとしきりの会話を終え、散歩にでかける。
野良猫が多いその集落は、おもに漁業で成り立っていて他の地域のように農地は広がっていない。民家の隣に小さい畑をよく見かけたが、畑に黒いネットがかかっている。山から鹿が降りてきて農作物を食い荒らしに来るらしい。
ここにもし移り住んだら〜と想像しながら歩いていたら、ある看板が目に止まった。そこには
『ここはかつて漁業が栄えたが、殉職する者も少なくなかった。女達は、毎日男達の無事を祈っていた』こんなかんじの事が書かれており、奥の山なりになっているところに無数のお墓が建てられていた。
やっぱり命懸けの大変な仕事なんだなぁ
そうぼんやり思いながら、集落で唯一と言っていい定食屋に向かう。宿の客は俺以外いないから夕食は作ってもらえなかった。でもそこのオバちゃんと楽しい話をして移住しにおいでおいでと言われ、気持ち良くなりながら、宿に戻って寝床についた。
スー…コ スー…コ スー…コ
急に意識が起きた。
頭のすぐ近くで、古い小さい木の引き出しが開けては閉まり、開けては閉まる音がする。
きた
瞬時に感じる。
全身にトリハダが立った。
カラダが一気に硬直した。動いたら気付かれる、気配を消さないと、と思って体を横向きのまま膝を曲げてじっとした。
グググ…
布団の上から押さえつけられた。
金縛りにあった。動かしたくても動かせない。というより、呼吸したくてもうまくできない。
少しして上からの圧が解けた。
まだいる
どっからくるんだ
足の方向にある押入れに目をやった。
押入れは半分開いていて、そこに赤いフリースを着たハゲ散らかしたオヤジが立て膝をつきながら座ってこちらをじとっとした目で睨んでいた…
押入れから降りて ズ ズ ズ ズ とこちらに向かってくる音が目の前まで近くなったところで、止まった。
トリハダが一気にひいた。体が自由になった。
ここではじめて目を開けた。と思う。押入れは完全に閉まっていたし、頭の近くにはテレビがあるだけで、木の引き出しなんてない。ただ夢を見ただけだ。スマホを見ると、3:56と表示されていた。
不気味な雰囲気から幽霊を想像してしまい、夢となったのだろう。この世の心霊現象はすべて、きっとヒトの思い込みによるもの…か
とはいえ、思い出すとトリハダが立つのでしばらく眠れなかった。
翌朝、お婆に
「よく寝れました〜。あ、でも赤いフリース来たおじさんに出会ったんですよそんな人知ってます?」と聞いてみた。
「ん〜?知らないねぇー」
お婆はそう言って笑った。
シェアハウスライフ
Amazonでの仕事の拠点が成田ということで、成田周辺に住むことにした
古民家などを安く借りるか、シェアハウスにするか
古民家を借りれた場合、AirBNBに登録して民泊を経営するつもりだった。
日本の玄関口、成田だし、東京五輪もあるから色んな外国人が毎日大量に流れてくるだろうから楽しそうだと思った。でも残念ながら(今となっては幸運だったけど)丁度いい物件が見つからず、シェアハウスを選んだ。
理由はひとつ
家電家具をいちから揃える必要がなく、且ついつでも出れるからだ
なぜならAmazonの仕事を5年も10年も続けるつもりはなかったし、成田にずっといる予定もなかったから。頭の中には沖縄かどこかの田舎へ移住が常にあったのである。
そんなこんなではじまったシェアハウスライフ
思い返した時にでてくるのは
畑
釣り
七輪
もうほぼほぼこの印象がつよい。笑
つまりこれは俺にとって充実、を意味する
家の隣に手頃なサイズの畑があり、やりたい人が自由に使っていいとの事で
最初はちょうど、俺が入居した直後のタイミングでみんなでやろう、と意気込んで
雑草をみんなでむしり、耕して、肥料を撒き、思い思いの種を撒いた。
専用のライングループも誕生した
覚えているかぎり、自分以外の誰かが水やりをしたり雑草を抜いたりしてた記憶はない。俺がやる時に居合わせたら手伝ってくれたりは何度もあったけどね。俺は悟った。この方々は、野菜を育てたいんじゃなくて、食べたいだけなんだと。笑
むしろこれは好都合だな、と内心思った
当初から自分ひとりでやるつもりだったし、
どのくらい水をやったらどうなるのか
土づくりの重要性
肥料の必要性
陽の光
種を蒔く時期
野菜の病気やその対処
害虫の厄介さ
連作などの畑のルール
たくさんの事を肌感覚で味わった
畑は、奥が深い。楽しい。
全然育たない。くやしい。
そして、美味しい。
成長してる姿を日々見ていると、我が子のように愛くるしかった
はぁ
釣りには、そうだなぁ。10回ぐらいは行っただろうか
そのほとんどは、九十九里沿いの飯岡漁港なる場所
サビキからはじまり、後半はずっとアオイソメでちょい投げやウキ釣り
子サバかイシモチか、その2種類くらいしか釣れなかったけど
なにも釣れないボウズの日も
むしろ何も釣れない日のほうが多かったかな。釣りは難しい
海釣りのみならず利根川にも何度か繰り出したな。小さい雑魚を捕まえては、家の前にある池に放流してそこに住んでる金魚と共生を画策した。
ここに小さい社会をつくりたい
とか言って、金魚を増やしてみたり、エビやメダカを買って入れてみたり
結果として、今現在、前から住んでいる金魚しかいない
なかなかヒトの思い通りにはいかないらしい
そして、七輪
テラスがあるからと
ホームセンターで七輪買って
夏はもちろん冬でも炭をパチパチさせて
釣った魚もホラこの通り
食べて飲んで笑って酔って
しょうもない、くだらない時間をたくさん過ごした
そういうのが人生においてすごい大事だったりするのは知ってる
色んな人が入り混じったシェアハウス
本当に思う。ワーホリに行く人も当てはまると思うけど
シェアハウスに住もうなんざ考え実行する人はたいていどこかオカシイ。変人だ
クセが強い個性的な人じゃないと、まず選択肢に入らん
もちろん自分含めて
そういえば盗難騒ぎもあったな
騒ぎというか、俺が来る前からちょこちょこ発生してたみたいで
いつぞやのBBQの時にも勃発してそれに業を煮やして、
泥酔した勢いで、疑わしき人物の部屋に殴り込みにいこうとしたのを、そこにいた数人が止めたんだとか。全然覚えてない。笑 自分がそういう行動に出るってことに後日聞いてびっくりした。
酒癖は、悪いほうだ(反省)
後日、もうひとりのオジサンメイトと管理会社を巻き込んでコトを大きくして
あれから特に何か失くなったって話は聞かないけど
自分らがしたことは間違いじゃなかったと、思いたい。その人のためにも
晴れた日には上裸で寝転んで
ハンモックで本読んで
冒険と称した料理をつくり
家賃を下げるために掃除をして
ウン
楽しかった
この1年、いろいろ充実してたと思う
様々なコトが懐かしい
なんで振り返るのかって、もうすぐ行くんです。次の場所へ。
Amazon Flexというしごと
都営浅草線に乗りながら、これからどうしようかなと考えていた時に、ふとあることを思い出した。
実の姉ちゃんがつい先日入籍したんだけど、その旦那さんの話を一瞬ポロッと聞いたこと
両家顔合わせでメシを食った時かその前かで聞いて、その時は気に留めてたわけでもなかったんだけど、
Amazonの荷物を個人事業主として配送の仕事をしているんだと
あとはもう直感が働いた
東京でサラリーマンするより
地方にアテもなく移住するより
ホテルマン時代の給料よりも、未経験からはじめる割には良く
なによりフリーランスというカテゴリに惹かれた。
世界一周してまたサラリーマンに戻るというのがなんとなく残念な気もしてたから
すぐに姉ちゃんに連絡をとって、一度話を聞きに行った。
車に精通してる人なので、安くて良い中古の軽バンを買い、備品購入やドラレコをつける作業まで手伝ってくれた。
実際にはじめて稼働したのは2019年の12月
今もまだやってるから、1年2ヶ月ぐらい続いていることになるな
エリアは千葉の成田市。
成田のステーション(倉庫)に荷物を集荷しに行って、そこから配送エリアに向かう。
この仕事は時給制。荷物を何個届けようがその時給は変わらない。
今日は何個で、どのエリアに行くのかは当日その時にならないとわからない。
成田の古い町並みをすり抜けている時のこと
その時はミスが重なって少し急いでた。
細いT字路を曲がろうとしたら、ふくらみが足りなくて曲がりきれず、そこにもう片側から乗用車がきた。
一気にテンパった俺は、曲がりきれないとわかっていながらその場を早く去りたくてコーナーにある鉄の杭にガリガリ車体を擦った。
それから八街市に集中的に行くことが多くなった。
その頃はまだ今のように <置き配>(玄関前などにサイン不要で荷物を置いておく配達方法)が世に浸透していなかったから、
一軒一軒インターホンを鳴らさないといけなかった。まぁそれが今まで当たり前だったんだけどね
農家に届けるなんてこともしばしば。畑の間のあぜ道や山道に突っ込んでいき、ぬかるみにスタックしたことも何度か。
タイヤ周辺の泥をかきわけて、アクセルとバックを交互に素早く繰り返したり、ドライブにしたまま車を揺らして脱出したり
相当みじめな経験もした。どうにもならず、一度だけステーションのスタッフに助けに来てもらったのも、八街だ。
やがてエリアが拡がり、山武市や横芝光町といった海沿い方面、印西や佐倉といったベッドタウン方面、毎度様々なエリアにランダムで配達してまわった。
置き配も浸透していき、作業は楽になった。そのぶん、荷量は増えた。
順調にこなしていくと、自分専用の仕事オファーがもらえる。
そうでない人は、アプリ上に表示されるオファーを誰よりも早く取得しないと仕事ができない。
働く時間も、働く場所もあなた次第と謳っているが、現実はオファー争奪戦だ。
コロナの影響で新規参入者が増えたことが大きいのだろう
そして忘れもしない2020年5月7日
交通事故に遭った
当時の視界、衝撃は鮮明に思い出せる
信号のない交差点で、出会い頭の衝突
自分の車体側面に、相手の正面が突っ込んだ
過失割合は納得がいくはずもない4:6
はじめて警察に電話し、保険屋に電話し
あらゆる人の助けを借りて必要最小限の出費に留めた。
ベコベコになったドアは、姉ちゃんの旦那さんの力を借りて、自分たちでヤフオクでドアを買い、直した。
2,3日に一度の頻度で痛くもない首をひっさげて整形外科にコツコツ通い、慰謝料を70万積み重ねた。
一時不停止で、一度検挙された。
駐車違反で罰金も一度受けた。
軽貨物での運送業、1年目で一通りのことを味わったと思う。
この仕事をしているとこんな出来事があるんだ〜って肌身にしみた。
10年くらい付き合ってたあの2人が籍を入れるタイミングが丁度この年だった偶然
世界一周から帰国後、ダンボールを日々届ける仕事を選ぶとは、あの時思いもしなかった。
興味本位の島生活
富山で1ヶ月のうんち修行を経て、帰国後はじめて千葉の実家に戻った。
久々の友人に会いに行ったり(やっぱ日本の居酒屋は最強)、歯医者に行ったり市役所行ったり
2年ぶりの日本での生活に戻るための手続きやらなんやらに追われた。
最も気が滅入ったのは、運転免許証が完全に失効してしまったこと。
旅中に更新期限が過ぎたとはいえ、帰国後やむを得ない理由を証明できれば更新手続きができるという説明文をサイトで見て安堵していたのだが、それは帰国後1ヶ月以内に行わなければいけないらしく
うんちにまみれていたせいで、筆記試験と実技試験を受けなければならなくなった事に後悔はしてないけどね。超絶めんどくさかった
さて一文無しのなか富山でしばらくの生活費を稼いだ今後、どこで何をしようかなと
なんの仕事をしようか
どんな仕事がしたいか
どこの街に拠点を置こうか
関東?田舎?沖縄?
身一つでとりあえず気に入りそうな自然豊かな土地に飛び込んで見る?
それとも次また何かをはじめる軍資金をつくるために都内でスーツ来て歩合制の営業でもはじめる?
旅人採用、なんていう転職エージェントに面接に行ったりもしてみたけど
ある思いつきが
島の暮らしってどうなんやろ
そこからは早かった
なんとなく目に留まった、伊豆大島
求人を見てなんとなく目に留まった、ゲストハウスの住み込みバイト
お試し2週間ともあって、期間も決まった
二度目の来島だと気付いたのは、高速船から港に降り立ったあとだった。
付き合って2ヶ月ぐらいの彼女と2泊3日で遊びに来て、民宿に泊まって、ママチャリ借りて、楽しかったんだけどなんかケンカして3ヶ月経たずして別れたっけ
そんな良くも悪くもどちらともない思い出をひっさげて、お世話になったのは
BookTeaBed Izu-Oshima
家族で泊まれる部屋からドミトリーまで揃ってる清潔感のある宿
ここで、受付はもちろん、朝食の提供やら部屋の清掃、締めの作業まで様々なお手伝いをさせてもらった。
なかでも、特に求められ、そして貢献できたなと思えたのが
業務のテコ入れ
ここの経営者は畑違いの仕事からいきなり始めたらしく
僕が世界一周前に6年ホテルで勤めていたという事もあり、業務ルーティンから案内の仕方、部屋の設備まで気になるところはどんどん言って変えてってほしいと言われた。
セキュリティ、雑すぎん?
案内する内容、薄すぎん?
英語の説明、もっとわかりやすく工夫を
アメニティはここに置いたほうがよさそうじゃないかな
そもそもテンション低すぎん?
気になるところなんて、たくさんあった。
来たばっかの奴になんでこんなにダメ出しされなあかんねん!って言われてもいいやと
遠慮なしにどんどん提案しまくった。
(自分がオーナーだったら、もっとこうするのにな)
言わないこともあった。
いつの間にか2週間の試用期間が終わろうとしていた
はて…なんで来たんだっけ
正式に社員として働かないかと誘われた。
その人とは会話してもソリが合わない、ウマが合わないと思ってたから断った。
島を出る前日に、お客さんへのレンタル用のバギーを乗らせてもらって、島の観光名所をぐるっと回った。
美しいビーチ
磯遊びのできる浅瀬
サイクリングロード
火山岩から成る真っ黒い裏砂漠
夕日スポット
あれ………
ちっとも心揺さぶられない
なにひとつときめかない
元カノとの思い出が邪魔をしてしまっているのか
世界一周で絶景をたくさん見てきたからなのか
宿での仕事に満足できなかったからなのか
わかんないけど
しっくりこなかった。いや、ひとつしっくりくる答えがでた
ここじゃない
エイダコインという仮想通貨を絶対買ってもってたほうがいいと、死ぬほどオススメされたな…
明け方浜松町に着く鈍行フェリーで横になりながら波の揺れを感じながら、ふとぼんやりそんな会話を思い出した
帰国後は、うんち漬け
「もう日本??」
世界一周から帰国して2日目、実家から程遠い大阪にいた日付は7月18日、せいたろちゃんからメッセージが届いた。
「富山に来ませんか?住み込みでバイトお願いしたいです」
せいたろちゃんはオーストラリアのケアンズ近く、田舎町のバナナファームで働いていた時に知り合った。当時はお互いそんな仲良し!ってわけでもなくふつうの友達、というぐらい。
実家がハンバーグをメインに出す洋食屋さんらしく、富山で開催されるイベントに出張屋台を出店するらしくそれの人手を探しているんだとか。7月21日から1ヶ月間。
………すぐじゃねぇか!
次の予定決めてなかったし面白そうだから行くか!
富山テクノホールというサイズのあるスペースで1ヶ月間展開されるイベント
その名も、うんちミュージアム
うんち、おなら、ゲップ、、汚いものラインナップを全面に押し出し、からだを仕組みを学ぼうという、子どもにとっては大好物、大人にとっても素晴らしい学習の場として活用できる素晴らしいイベント、ということである。
その一角に飲食休憩スペースを拵え、そこで我々はサービスを提供する。
出店は全部で4店
ピザ屋
たいやき屋
そして、洋食「だんらんや」
戦いの火蓋は切って落とされた
勝敗は初日にすでについた
うどん屋の圧勝
完膚無きまでの
ウチは800円前後のハンバーグ丼とドリンク
6〜700円前後のピザとジェラートを出すピザ屋
300円前後のたい焼きとラムネを出すたいやき屋
うどん屋が出したのは…
うんちソフトクリーム。500円。
色はもちろん、質感を見事に再現した出来栄え
子どもが欲しがるソフトクリームというチョイス
まきぐその愛らしいシルエットは子どもの心を鷲づかんだ
機械さえ用意すれば、人件費は1人で済む低コスト
何よりも、メイン商品であるうどんを完全に潰して、畑違いの勝てる商品に大きく舵をとった大胆な経営戦略
こちらは、ハンバーグをたくさん手作りで準備をし、米、付け合せの人参グラッセ、ブロッコリーなど用意するものも多い。賞味期限もある。ドリンクも揃える。販売と調理で最低2人はいる。販売価格も追い討ちとなった。割高なイベント入場料、アトラクションやゲームは別料金だ。ひと家族下手したら7〜8,000円の出費。半日遊んで、ご飯は自宅でという予算のやりくりが親の頭にあるのは想像に容易い。まぁ、ソフトクリームならいいか、となりやすい。
ピザもたいやきもイマイチで、うんちソフトにだけ連日行列ができた
僕らも苦慮の末、ハンバーグ丼はそのままに、新たなメニューを一品加えた
その名も、うんちウインナー
お客さんが店の前を通るたびに、こっちを見てる視線を感じるたびに、
「うんちウインナーいかがですか〜?うんちが焼き上がりましたー!」
と、声を枯らした(誇張)
まぁまぁの勢いでウインナーは売れていった。
僕らの仕事量はさらに増え、汗水たらして働いてる感がでてきていた。
が、
ハンバーグ丼いっぽんで勝負していた前半戦と比べて、売上はあまり変わらなかった。うんちウインナーは300円だったからだ。来店客数は伸びたが、本来であればもしかしたらハンバーグ丼を食べていた客も、うんちウインナーに流れてしまっていたのかもしれない。(水洗便所のように)ハンバーグ丼を本来売りたかったのに、どんどんうんちウインナーが捌けていく構図となってしまった。これでは、洋食だんらんやとしての本店のPRにもならない。
そこまで僕とせいたろちゃんは考えていなかった。
ただ、どうしたらうんちソフトに対抗できるか、だけを考えてしまっていた。
結果的に、赤字のままイベントは終了した。
僕は手伝いのために住み込みで働いただけだったが、おもしろい経験となった。
本店の洋食屋が人手不足で夏の忙しい時期に、せがれに経験を積ませるために、失敗してこいとイベントに送り込む親父さんの気概がかっこよかった。
帰国直後から1ヶ月間富山で毎日うんちうんちと叫んだ、という話でした
ぜひ富山に遊びに行くときは、洋食「だんらんや」でハンバーグを食べてみてください。めっちゃおいしいんよ。冷凍バーグのオンライン販売もやってるでぇ!