てぶろぐ ~地球散歩~

6年間のホテルマン人生の先に https://www.instagram.com/tepapepe

Amazon Flexというしごと

都営浅草線に乗りながら、これからどうしようかなと考えていた時に、ふとあることを思い出した。

 

 

実の姉ちゃんがつい先日入籍したんだけど、その旦那さんの話を一瞬ポロッと聞いたこと

 

 

 

両家顔合わせでメシを食った時かその前かで聞いて、その時は気に留めてたわけでもなかったんだけど、

Amazonの荷物を個人事業主として配送の仕事をしているんだと

 

 

 

あとはもう直感が働いた

 

 

 

東京でサラリーマンするより

地方にアテもなく移住するより

テルマン時代の給料よりも、未経験からはじめる割には良く

なによりフリーランスというカテゴリに惹かれた。

世界一周してまたサラリーマンに戻るというのがなんとなく残念な気もしてたから

 

 

すぐに姉ちゃんに連絡をとって、一度話を聞きに行った。

車に精通してる人なので、安くて良い中古の軽バンを買い、備品購入やドラレコをつける作業まで手伝ってくれた。

 

 

実際にはじめて稼働したのは2019年の12月

今もまだやってるから、1年2ヶ月ぐらい続いていることになるな

 

 

エリアは千葉の成田市

成田のステーション(倉庫)に荷物を集荷しに行って、そこから配送エリアに向かう。

この仕事は時給制。荷物を何個届けようがその時給は変わらない。

今日は何個で、どのエリアに行くのかは当日その時にならないとわからない。

 

最初は近場の成田市富里市に行くことが多かった。

 

 

成田の古い町並みをすり抜けている時のこと

その時はミスが重なって少し急いでた。

細いT字路を曲がろうとしたら、ふくらみが足りなくて曲がりきれず、そこにもう片側から乗用車がきた。

一気にテンパった俺は、曲がりきれないとわかっていながらその場を早く去りたくてコーナーにある鉄の杭にガリガリ車体を擦った。

 

 

それから八街市に集中的に行くことが多くなった。

その頃はまだ今のように <置き配>(玄関前などにサイン不要で荷物を置いておく配達方法)が世に浸透していなかったから、

一軒一軒インターホンを鳴らさないといけなかった。まぁそれが今まで当たり前だったんだけどね

 

 

農家に届けるなんてこともしばしば。畑の間のあぜ道や山道に突っ込んでいき、ぬかるみにスタックしたことも何度か。

タイヤ周辺の泥をかきわけて、アクセルとバックを交互に素早く繰り返したり、ドライブにしたまま車を揺らして脱出したり

相当みじめな経験もした。どうにもならず、一度だけステーションのスタッフに助けに来てもらったのも、八街だ。

 

 

やがてエリアが拡がり、山武市横芝光町といった海沿い方面、印西や佐倉といったベッドタウン方面、毎度様々なエリアにランダムで配達してまわった。

置き配も浸透していき、作業は楽になった。そのぶん、荷量は増えた。

 

 

順調にこなしていくと、自分専用の仕事オファーがもらえる。

そうでない人は、アプリ上に表示されるオファーを誰よりも早く取得しないと仕事ができない。

働く時間も、働く場所もあなた次第と謳っているが、現実はオファー争奪戦だ。

コロナの影響で新規参入者が増えたことが大きいのだろう

 

 

 

 

 

そして忘れもしない2020年5月7日

交通事故に遭った

 

当時の視界、衝撃は鮮明に思い出せる

 

 

 

信号のない交差点で、出会い頭の衝突

自分の車体側面に、相手の正面が突っ込んだ

過失割合は納得がいくはずもない4:6

 

 

はじめて警察に電話し、保険屋に電話し

あらゆる人の助けを借りて必要最小限の出費に留めた。

ベコベコになったドアは、姉ちゃんの旦那さんの力を借りて、自分たちでヤフオクでドアを買い、直した。

2,3日に一度の頻度で痛くもない首をひっさげて整形外科にコツコツ通い、慰謝料を70万積み重ねた。

 

 

一時不停止で、一度検挙された。

駐車違反で罰金も一度受けた。

 

 

 

軽貨物での運送業、1年目で一通りのことを味わったと思う。

この仕事をしているとこんな出来事があるんだ〜って肌身にしみた。

 

 

 

 

10年くらい付き合ってたあの2人が籍を入れるタイミングが丁度この年だった偶然

 

 

世界一周から帰国後、ダンボールを日々届ける仕事を選ぶとは、あの時思いもしなかった。