25ヶ国目 イスラエル~地球散歩~
イスラエルという国を嚙み砕くのに、宗教のしの字を理解するのに、2,3日の滞在はあまりにも短すぎた。や、仮に1ヶ月滞在しても同じかもしれないそれぐらい混乱した。
聖地エルサレム
悲しい背景があって薄暗く混沌としたイメージしかなかったけど全く違った。
観光地だった。
入口にセキュリティゲートがある嘆きの壁
着いた瞬間すごく落胆して裏切られたようなショックを受けた。
観光客がごった返し撮影大会
まるで見せ物のような祈りを捧げる人たち
超正統派と呼ばれる黒系統のコートに髭を蓄えた顔、黒ハットを被ったユダヤ教信者
彼らの仕事は、祈ることのみ。
まるで観光客のためにそうゆう服装をして壁に向かっているように見えた。
いったいどこまで本気なのかよくわからなくなる
神聖な場所で重々しい雰囲気の中、人々が静かに想いを寄せる冷たい場所
勉強してない頭で思い描いてたイメージのはるか斜め上の景色だった。
ただ写真撮りたいだけ、とか記念に信者と同じように祈ってみたい、とかなんかメンタル的に疲れちゃって、ためらった。少しは結局撮ったけど。
でも壁に近づいていって間近で祈ってる姿を見たら、本気で自分たちの神に向き合ってるっていうのが伝わってきた。真剣に聖本を読みながら首を傾け頷きながら一心不乱に祈る姿は観光客なんて目に入ってなかった。
でもだからこそ写真撮られたり自分たちの場所が一大観光スポットになって人が押し寄せるのは苦痛じゃないのだろうか。どう思ってるんだろう。
この地で起きた出来事や歴史、思想を多くの人に伝えたい
それぞれ信仰している信者達に聖地を開放したい
すごく大事な事だとは思うんだけど
それ以前にもはや無宗教の自分たちが訪れる理由っていったいなんなんだという場違い感
宗教ってなんなの
何が人をそこまで宗教へ誘うの
日本人の自分の当たり前と遠く離れた地に住む人の当たり前は全くちがう
というか日本が世界から奇妙に映ってるんだろうな
イスラエル兵士が壁の前で競うように記念写真を撮る姿を見てもう考えるのをやめた
エルサレム旧市街に突如イスラム教のコーランが流れたと思えばキリストの鐘の音が無造作に重なり始め、イエスキリストが死んだとされる教会内の右ではクリスチャンが、左ではムスリムがそれぞれ声高々にお互い干渉し合うことなく祈っていた。ムスリムのある女性がクリスチャンのミサの様子を撮っている様子が印象的だった。
ユダヤ人街を歩いてみると、今までに感じたことない妙な緊張感があった。
こちらを怪訝そうにじっと見てくる子どもや、時折感じる冷たい視線は、決して他所者を歓迎しているわけではなさそうだった。事実、「出てけ出てけ」とすれ違いざまに一度言われた。
パレスチナ自治区に足を運ぶ。
街並みが劇的に変わることはないが、おもに自治区を出る際にパレスチナ人は特に厳しいセキュリティチェックを受ける。物価なんかの違いもある。自治区内も外も人はみんな旅行者にとっては、なのかもしれないけど優しいし明るい。ウェルカムウェルカム言ってくれる。治安が悪いとは微塵とも思わなかった。バスが一緒のムスリムの女性はエルサレムからパレスチナ自治区内の学校に通っているという。自治区内のタクシーのおっちゃんは、俺はイスラエルが嫌いだと言っていた。
なかなか街行く人に本音を尋ねることはできないから、ここでこそカウチで現地人の人ん家にお世話になりたかった。ユダヤ人の家に泊まっていろんな話を聞いてみたかったな
一緒に歩いた愛ちゃんとなべちゃんから、歩きながら色々教会の事とか教えてもらったりしたけど、この国に来るには圧倒的に準備不足で消化不良だったな。でも、これぐらいで充分だとも思うけど。
やっぱ自然が好きだ。シンプルで爽快だから。(アホなだけ)
これからどんどん日本人旅行者に会う頻度が高くなってく気がするな
現地人との交流や自分のペースも大事にしていかなきゃ。すぐ流されるからなー