36ヶ国目 チリ~地球散歩~
アルゼンチンからチリに入っても2,3日は気が沈んでた
キャッシュカードとクレジットカード1枚を盗られて、お金はあるのに使うことができない現状に頭を悩ませ、盗った野郎への怒りと自分の失敗への後悔とでもうもみくちゃ
相棒のおじさんにちょこちょこ教えてもらいながら慣れないSkypeの国際電話。テンションの上がらないまま過ごした数日はつまらなかっただろう、迷惑かけたなぁ
残り1枚のクレジットカードでやりくりするためにアレコレ考えた結果、借りたくなかった親の助けを借りる。この歳で何やってんだかもう。またテンションが下がる
でもまだ旅を続けることに決めて、整えてからは恐ろしいほど悪い流れがぶっ飛んだ。
バスを乗るにしてもヒッチハイクするにしても、キャンプサイトを探すにしても天気にしても、すべての判断が尽く良い方向に流れた。
そんな中、2人のチリ人カップルからある「祭り」の情報を聞き、プエルトシスネスという街に向かった。
そのお祭りの名は、「ミンガ」
家を引っ張る、という行事。
向こう岸で作られた家を、こっち側まで海を渡らせて、さらに家を置く所まで引っ張る、というもの。
何のことやらちんぷんかんぷんだと思うけど、そんぐらいしか文字で表せらんないや
とにかくみんなで騒ぎながら綱を手に取り家を引っ張った。
「ミンガ!!ミンガ!!」
「アウトーーーーー!」
「ボタボタ!!」
「サコウェア!!サコウェア!!」
などと叫びまくりながら。
サコウェアって後で意味聞いたら、「バカ」とか「キンタマ」とかそんな意味らしい
今は違う街に引っ越したが元々この街のミンガの伝説的OB、みたいなノリのオッサンに序盤で絡まれ仲良くなった結果、常に最前列で参加させてもらえたし、「こいつらは日本から来たんだ」と大々的に紹介してくれたおかげで盛り上がり輪の中心にいさせてもらえた。
そんな日本人がキンタマキンタマ連呼するもんだから、そら盛り上がりますわな
家が通るのに邪魔な、持ち主の現れない車をみんなで持ち上げて担いじゃったり
小休憩の時にスタッフから差し出されるのは水じゃなくてワインだったり
大休憩の時は生演奏の周りで踊りだしたり
バカでクレイジーで本当に本当に楽しかった。
1週間ほど、チリ特有の民宿のようなスタイルのところに泊めさせてもらって
主のディエゴや青年フェリペをはじめとしたファミリーはみんな揃いも揃っていいひと
フェリペとはサーモン釣りを挑戦したり(残念ながらサーモンは1匹も…)
サッカーの試合に参加させてもらったり
総点:7
フェリペからのマイナスのクロスを冷静にゴール左隅に流し込んだシーンは高評価、とは言うものの、なぜか若者チームとおじさんチームに分れた采配により体力の差は歴然。開始15分で明らかにバテてる選手が続出したが、やはり深緑の綺麗な芝と澄み切った青空の下でのサッカーは、それだけで最高に気持ちよかった。
子供たちと水遊びしたり
お母さんのパン作りを手伝ったり
焼きたてパンやセビーチェというサーモンのマリネを食べさせてくれたり
のんびりした田舎町でじゅうぶんに堪能したなー
ミンガという最高に楽しい祭りと、居心地の良い家族との思い出をひっさげてあとはフェリーとバスを使って北上するだけ。
未だかつてないほどのどしゃ降りでフェリー出航が遅れるアクシデントがあったものの、予定通りのタイミングで首都サンティアゴの空港に到着。相棒のせっちゃんとは、ここからルートが違うので、数日前にさようなら。
丸2ヶ月間一緒に旅した同い年のおじさん。ありがとう。日本で飲もうよ。
さて次の行き先はブラジル!
もともと行く予定はなかったんだけど、
①つい最近100ドルだったVISA費用が40ドルでしかもオンラインで申請できるようになった
②もうすぐリオやらのカーニバルの時期
③突然おだ(高校の友達)からもしブラジル行くならリオ在住の友達紹介するよと連絡がきた
とトリプルパンチを受け、完全に神様がおまえブラじれと言ってきてると確信したのだ
申請から5営業日で発行と書いてあったので3週間あればまぁ大丈夫だろうと3週間後、2月2日の安めのフライトを確保し、空港に向かった。
ビザは2月16日現在、まだ届いていない。
あ、今日はっしー誕生日じゃん。おめでと~
前々からの再三の催促メール、電話も、「正式に受理されてますので、お待ちください」のみ
フライト前日に空港に到着し、ギリギリまで粘ったが結局無情にも飛行機は飛んで行った。
精神的ダメージはでかく、もう空港には用はないのに全く行動する気が起きず、その日も空港でひたすらダラダラして寝た。
またフライトを買って、それまでにまだVISA届かなかったらそんなアホな話はない
VISAを待ちながら、先にペルーに行こう。そう思い立って、空港から市内のメインバスターミナルに戻った。は、いいものの満席ばっかで全然いいバスがない。
ここの会社もバスなかったらどうすっかなーとバスオフィス前に並んでいると、ひとりのオッサンに話しかけられる。
「ここにメインバックパック置いていいから、ここに並びなさい」
そう言っているように聞こえ、そう従った。
その10分後、大粒の水滴がててててん!と身体にかかる感触があった。
首から肩、足へと茶色い液体がかかっている。
くさい。
鳥の糞を水で溶かしたみたいな色と臭い
えっなにこれ、、
するとどこからともなく1人のオバサンが、
「あ~あんた運が悪かったねぇ。上見てごらんなさい」
と身振り手振りで伝えてきたので、上を見ると換気口が
え~うわーあそこから垂れてきたのかよ最悪だ…
もーなんで俺ばっかこんな目に合うんだよ
フライト棒にするわバスないわの次はクソ喰らえってかい
するとオバサンが水とティッシュを取り出して、拭いてあげると優しい手を差し伸べてくれた。
前にしょってたサブリュックを下に置いて、オバサンに水を頭からかけられた。
えっ?そんな頭のほうまでガッツリ汚れてる?
一瞬そう疑問に思ったがそのまま、体は自然とお辞儀するような形で床を見る姿勢に。
ティッシュを渡され自分で床を見ながら拭きながらハッと顔をあげた。
すぐそこに置いたサブリュックがない
えっ?
頭が真っ白になった
うそでしょ
完全にやられた
やっちゃいました
パスポート、残り1枚のクレジットカード、貴重品もろもろ
もう旅は続けられない
ゲームオーバー
換気口下に誘導したジジイ
水ティッシュババア
盗んでったヤツ
たぶん3人組
警察にレポート書いてもらってる時に、泣きじゃくってる女2人と冷静な男1人の3人組のドイツ人バックパッカーが来た。まさかと思ったが、全く同じ手口の同じく3人組にやられたらしい。完全に常習犯。
はぁーーーーーなにしてんだろ俺
でも意外にも立ち直りは遅くはなかった。パタゴニアでの1度目のほうがショックがでかかったかも。保険でお金は返ってくるからなのかなぁわかんないけど。でもどうしても返ってこない、せっちゃんにもらったマクラメとか、ミンガ後どしゃ降りの中最後わざわざプレゼントしてくれたキャップとか旅中に買ったものとかそうゆうのはやっぱショックで辛い。
これにて緊急帰国が決定
ホステルに数泊した後、ミンガで仲良くなったパブロに連絡してみた。彼と彼の家族は快く迎え入れてくれた。ソファで雑魚寝する話だったのに、エアマットをわざわざ買ってきてくれて、いろーんなチリ伝統料理を振る舞ってくれて、本当に心から癒されたよ本当にありがとう!
帰国チケットを買うのに友達に助けを求め、パスポートを新規発行するのに親に助けを求め、残り少ないお金を節約するためにパブロに助けを求め。
本当に自分1人じゃ何もできないんだなぁ
まっさらなパスポートを手に取った時、まるでこれまでの旅が何もなかった事のように感じた。失ったものだけたくさんあって、得たものは何もないような気がした。
でもそんな杞憂もすべて、パブロ一家が取り払ってくれた。本当にもてなしの心がすごくって。
ミンガの街お世話になったフェリペ一家ともパブロ一家とも、今でもしょっちゅうメッセージやテレビ電話がくる。そんくらい自分を家族の一員みたいに接してくれて、心から感謝しています。
そんなこんなで、不本意な帰国。
しばらくは旅中に会った奴らの色んな場所で楽しそうにしてるインスタがウザいと思えてた
自分の不幸中は他人の充実を素直にいいねー!って思えないくらい
器がちっちぇー
ただいま日本
博多明太子、うますぎじゃない?
つづく