42ヶ国目 ベトナム~地球散歩~
ベトナム人の朝はコーヒーからはじまりフォーにつづく
思った以上に街がクリスマスクリスマスしてる。日本じゃ聞き慣れないまぁまぁオシャレなクリスマスソングがコンビニでも流れてて、サンタ帽やトナカイ角をかぶった店員がスーパーでレジしてる。
さほど興味もわかない忙しい街ホーチミン
バイクをレンタルして街のど真ん中を郊外の田舎を1日走ってみた。
バイクでごった返す光景は一見無秩序に見えるけどまぁまぁ皆さん互いを考慮しながら走ってるのが走っててわかる。無茶苦茶するヤツは全然いないのね
細かく枝分かれした川から成るメコンデルタ
これといって特に面白いイベントは発生しなかったけど、バイクごと乗せて渡る小さい舟や、風景はベトナムらしいものだったかな
なぞの催し
その夜、カウチで一緒にメシ食おうってベトナム人が現れたんだけどドタキャンされる
とっとと移動しよ
丸一日バスに揺られて着いた街、ホイアンでのクリスマス。
ホイアンの街並み
ランタンが綺麗で雑貨もかわいい
地元メシは安くておいしい
イブは宿のみんなでパーティー。
クリスマス当日はフランス人カールと男飲み。
仲良くなる欧米人ってドイツ人とフランス人が圧倒的に多いのはなんでだろ
なんか書くことが見つかんない
写真も全然撮ってない
あれれれーーー?
楽しいっちゃ楽しいんだけど
すげーテンション上がってるかっつーとそうでもない
なんなら何もない時に、昔の数々の過ちとかやけに思い出してブルーになったりするし
夜中にそんな事考えると全然眠れなくなって
んーおかしいなーガンジス川で過去を全部清算したはずなのに。どうやらたった1回の沐浴じゃ効果は薄いらしい
どーしたベトナム
いやどーしたおれ
旅のマンネリ?疲れ?いろんなとこ行きすぎて刺激足らず?飽きた?曇りばっかだから?
まいったな
また丸一日バスで寝ながら、ハノイの近く、ニンビンへ。南北に長いベトナムの縦断は一見しんどそうだけど、こんなバスだからそーでもない
チャリ借りてボート乗って世界遺産へ
一番ベトナムぽい景色に会えるかなーと期待してたとこは、たぶん今回で一番ベトナムぽい景色だった。
アルゼンチン人と手漕ぎボートでデスパシート
相変わらず天気悪いけどそのどんよりした雰囲気が折り重なる岩山のグラデーションとマッチして、なかなか渋く悪くない。水墨画のよう
時期を合わせると黄金の稲穂がビャーっと広がる素敵田園風景が見えるんだろうな
最後のハノイなんてまぁ完全に気持ち切れて
まぁまぁうまい焼き鳥食ったことくらいしか記憶にない
雨降るし寒いしなんなら息が白くなるほど
ベトナム全日程曇りか雨で
インドの雨季をずらしこれまでほとんど晴れ続きで快適にやってきたけど、さすがに全部が全部そううまくはいかないか
北部のトレッキングとか楽しみにしてたけど何もせず
自分の文章読み返しても死ぬほど内容つまらんな
そんなことも長く旅してたらあらーな
太陽は偉大だなぁ
常夏の島で生涯過ごすのが幸せなのかな
よいお年を。
41ヶ国目 カンボジア~地球散歩~
カンボジア、最悪の第一印象
バンコクからシェムリアップ行きのバスで、通常の半額以下350バーツ(≠¥1,200)のものを見つけたのが物語のはじまりはじまり。
カンボジアに入るにはビザが必要で、国境でアライバルビザを取るには30$かかる事は知っていた。のだが、バスは国境から少し離れたレストランに停まり、「ここから先はビザがある人しか乗せられない。ここでのビザ申請は45$だ」と告げられる。
もうこの時点で訳がわからない
完全にこれタチのわりぃやつだと確信する
こんな話聞いたこともないしバスオフィスでそんな説明一切聞いていないと抗議しても全く通用せず何なら高圧的な態度をとられ、「じゃあお前はここから自力で行け早く荷物持って行け」と言われる始末
このクソジジイに当然憤りを感じる反面、なんで他の外国人達は「I don’t know…」とか言いながら抵抗なく支払って数分後にはヘラヘラしてんだ⁇ そっちにもイラつく
まるで抗議してる俺だけオカシイ奴みたいじゃんか‼︎
そこからひたすら歩くとかヒッチハイクして行くとか払わない方法考えたけど、かかる時間と別のバスをまた金払って乗らなきゃいけない事とか色々考えて結局万事休す。
45$のビザを手に、"アライバルビザ 30$"と示された国境のオフィスを横目に通過し、カンボジアへ入国した。
アンコールワットのあるシェムリアップに到着、したのは街の中心からかなり離れた僻地。バスに群がるトゥクトゥクドライバー。
バス内でアナウンス
「このトゥクトゥク達は市内中心部までは無料です」
安堵の声が旅行者から漏れる
トゥクトゥクに乗って出発する直前
ドライバー「明日のアンコールワットツアーを組むなら中心部まではタダだ。組まないなら有料だ」
はぁ?
インドネシアの子は同じバスに750バーツ(≠2,600円)バスに払ったとのこと。
カンボジアくそったれ
今までで一番ひどい国境越えだったかもなぁ
でもまぁそれ以降は気持ち穏やかに。そこから6泊したシェムリアップはとても観光地化された街で、クラブやバーのひしめく通りは規模の小さいバンコクのカオサン通りのよう。少し辟易しながらも50セントのドラフトビールは最高。
アンコールワットへはマウンテンバイクを選択。朝4時半から夕方のサンセットまで遺跡群を爆走。自分の足で辿り着いたほうがより一層感動するやろと
驚くほど感動しなかった
元々興味がなかったのと前日のテキーラときっと様々な要素が相まった結果
1ミリも心動かず。
どうしたんせっかくのアンコールワット
どうしたん自分
途中からサイクリングメインと化してた
泊まった宿は、外国人も多いけど日本人も多くて。中でも刺激的だったのが5人組の宮古島アベンジャーズ。輪の中入れてくれてありがとう。一緒にメシ食べてビール飲んでテキーラ飲んで遺跡ツアー行って。
大人数で日本人でギャーギャーする感じが懐かしくて新鮮で楽しかった
そしてりょーたとの再度合流。
ゲイshowに孤児院に日本語学校に激うまメシ屋、最強サンセット。色々ローカルスポットを案内してくれてありがとう!道を歩けば10分おきに知り合いにぶつかる、2年かけて築いた分厚い人間関係を目の当たりにしました。皆さんりょーたは異国の地で頑張ってるよーこれからも応援していこー!!
クメール鍋を食わしてくれた
首都プノンペンでも至れり尽くせりの3日間。日本での知り合い、カンボジア大好き宮本さん。の友達ヌットさんを紹介してもらい、ヌットさん宅に3日間ホームステイ。
日本語堪能で日本大使館で働くスーパーエリートヌットさんは、自転車や山登りが大好き。日中は当然仕事なので、その間は自転車を借りて、プノンペンの街を縦横無尽に走り回った。
カンボジアの悲劇が詰まった、トゥール・スレン虐殺博物館や、キリングフィールド
ボートに乗って何もないのどかな島に少し立ち寄る
募金や支援金で成り立つ日本語学校
最初はうまくお金や人が集まって立ち上げることができたとしても、5年10年20年と継続して支援していくってなかなかハードルが高いことだよなぁとか考えたり。事実、数年経たずして廃校になるなんてことも多いらしい。
ノートで隠しながら何をコソコソ
急に思い立ち、約1年、ほったらかしになってたボーボーの髪の毛とさようなら。人生で一番長かった髪を断ち切り、13年ぶり通算2度目のボーズになる。と思ったけど新宿でのホテルマン時代にも1回やったなぁ。フロントにスーツ姿のボーズが2人並んでお客様を迎えるホテルなんて今後二度とお目にかからないだろう
人工芝のサッカー場で子どもたちがボール蹴ってたから、意気揚々に入り込もうとしたら芝生が日光に照らされて熱すぎて即断念。彼らも同じく裸足なのに一体どういう皮膚してんだ
ヌットさんが仕事から帰ってきてからは、バイクでいろーんな観光客のいないグルメスポットに案内してくれた。
イチ押しのヌードルに入ってたのは豚の血を固めた直方体の物体。レバーに近い見た目だが臭みとかはなく、独特の歯ざわり。タイでも食べたけどアレ豚の血だったのか
アヒルの卵なんてのも。フィリピンのバロットと非常に似てるけど味はぜんぜん違う。バロットは言うなれば茶碗蒸しに似た味なのに対し、カンボジアのそれはコショウに唐辛子とニンニクの辛いタレを混ぜてそれにつけて食べる。ヌットさんは最後にパクチーや切った野菜を上に乗せて、アヒルの目玉と目が合わないようにして食べてた。
他にもカエルの丸揚げ、ビワもどき、梨、そしてお母さんは毎日野菜たっぷりの朝ごはんを出してくれて。どれもおいしくてローカルめし堪能できて楽しかった。タランチュラも。
ヌットさんとたくさん色んな話をして、子どもたちが勉強してる風景を間近で見て感じた、自分もたくさん勉強しないとなぁって。単純。元々勉強が嫌いで苦手でここまできた上に、旅に出てる間、脳が少ーーしずつ縮んでいってる気さえする。
今できることを今やろう
今できないことは、後でやろう
破天荒な次女と、ふわふわしてる三女ともこれからも仲良くね。ヌットさん、どうもありがとうこれからもお互い人生楽しもー!
第一印象さえ最悪だったけど、いろんな人の優しさでいい思い出になりました
40ヶ国目 タイ~地球散歩~
ミャンマーからタイへ入国
国境付近の小さい町にさえセブンが至る所にある。ハイチュウの北海道夕張メロン味がある。クラクションの無さに驚く。みんな静かに走ってる。これがタイか
すぐにチェンマイへ移動
ある友人と再会するために
この男エバンスことりょーた
高校時代の付き合いで同じサッカー部だった彼の得意技はデコイ・ラン(相手DFの背後のスペースなどに、自らがパスをもらうわけではなく味方を活かすために囮として走る行為)
ただ宿で寝ただけで瞼を虫に刺され殴られたボクサー顔を披露するエンターテイメントの申し子で、DA PUMPを躍らせたら今も昔も右に出る者はいない
そんな彼は今カンボジアに根を張り自ら事業を手がけ展開している。カンボジアのクメール語のみならず、ベトナム、タイ、中国、韓国語など周辺地域の言語を操るまでに至った努力は決して、事業のためではない。女を、女の尻を追っかけ回すためである。(確定)
ランタンを夜空に放つタイのお祭り
コムローイ
郊外の数カ所でランタンを一斉に飛ばすいかにもフォトジェニックな景色が見れる、観光客用の会場の入場チケットが1万円以上との事で、りょーたはそこに行ったけど俺は市内で現地人なんかとテキトーにわちゃわちゃやることに
色んな人に、市内のどこが一番盛り上がるかを聞いてまわって目星をつけて迎えた当日、カウチ越しにあるフランス人ルーカスからメッセージが届いた
「やぁ、オレといとこはチケットを買ってないんだけどバイクで郊外のその会場に自力で行ってどさくさに紛れて侵入しちまおうと企んでるんだ。一緒に行かないかい?」
なんだそりゃオモシロそうじゃねぇか
行こう、と決めて数回のやりとりのうち、返信が突如遅くなって返ってきたのが夕方5時。もう出発しないと間に合わなくなる
5時半に向こうの宿にて合流
ルーカスといとこのテバ、あと日本人のみほさんも急遽参加になったんだけど
「今、自転車で行くかバイク借りるか迷ってるんだ」
え!自転車で行ける距離じゃねぇよ
てかもうてっきりバイク借りて準備万端なうえでのお誘いかと思ったよ!
こっちはもうバイクを借りてたから、あと1台探すために走り回ったが時すでに遅し。もうバイクも見つからんしそもそも見つかっても間に合わんし
結局侵入作戦は諦めて大人しく市内で祭りを楽しむことにした、んだけど結局これが大正解で。
屋台が延々と並び人で溢れ
美味しそうな匂いとランタンの温かい灯り
浮かび上がる光りに歓声があがりそこには国籍も何も関係なく
そこにいた全員がハッピーな気持ちなのがわかるような
最高の夏祭り感。
祭りならではの色んな出会いを楽しんだ(女の尻を追っかけ回すという意味を含めて)
祭りのあとはパーイというバックパッカーに人気の田舎町に移動した。今振り返ってみると特筆すべきことはなく、バイクで綺麗な自然を堪能して夜は女の尻を追っかけ回すそんな日々。正確には歩くスピードも女の尻に対する初動の速さも一歩先を行くりょーたの尻を追っかけ回す、そんなかんじ
あ、パーイでもイベントやってたな
あ、そいえばiPhone落としたな
バイク走行中、段差でガタン!てなった時に落ちてそのあとすぐ気付いて段差まで戻ったけど無くてタイSIM買ってたから電話してみたら現地の人が拾ってくれてて
あぶねー
もっと気をつけなきゃなぁ
SIM買ってなかったらアウトだったなぁ
そんなこんなで
次は一気に北から南下
りょーたとはここでお別れ
これからもりょーたらしさ全開でぶっ飛んでってくれ!
プーケットに到着
あれ、海そんな綺麗じゃない
夕陽は綺麗
実はチェンマイで仲良くなったルーカスとテバに、プーケットで2週間ムエタイ漬けの日々を送らないかというお誘いを二つ返事でOKしたのである
が、2人の到着が2,3日遅れるというのでその間にリペ島というマレーシア近くの島へ
1年ぶりのダイビング
大物や珍しい魚が特別見れたわけじゃなかったけど、やっぱり水の中に入った瞬間の興奮や水深40mの光の届かない世界はダイビングでしか味わえない
地球感じた
しかしいつも半年ぶりとか1年ぶりとか刻みになっちゃうからスキルが上がってこないのが悔しい
隙あらばシュノーケリングして
砂浜から夕陽みて
ありがたい事にお一人summerも多くて、ドイツ、イスラエル、韓国、タイ、色んな人と過ごす夜は楽しかった
しかしインドでデング熱にかかって以降、自分から話さずとも、友達がデング熱かかっただの1年前デングなっただの、知り合った外人から勝手にデングトークが何度も舞い込んでくるのはなんなん。こちとら2度目の発症にびびっとるんじゃい
そういえば何を隠そう、りょーたもデング経験者。我らデングブラザーズ。
その後プーケットに戻りルーカスとテバと合流。少ーしずつムエタイジムについて調べながらビーチで女の尻を3人で眺める
朝宿に戻り夕方までダラダラし夜酒を飲み始め深夜街に繰り出し女の尻にを追っかけ回す毎日
結果プーケット出るその日までムエタイたったの1度もやらず。うだうだ、ぐだぐだ、ぐびぐび。だらけにだらけきったプーケットライフ
地球感じた(うそ)
朝4時ひとりで酔いつつ歩いてたら
ゴリラ現る
断ってもシカトしてもずーっとついてくる
なんなら宿の中まで入ってきた
さすがに押し出すもパワー強い
最後に謎のミドルキックを食らう
地球感じた(大うそ)
最高にアホなフレンチガイを残し出発
きっと俺がいなくなってからもムエタイやらんだろうな
2人ともフランスには戻りたくないんだと。今ホットな話題の真っ只中の母国について、思うところもあるんだろうな
最後のバンコク
女の尻追っかけ回しすぎて
なんか疲れた
いいよねナイトマーケットとかアレほぼ夏祭りじゃん
前職場の白井さんが大絶賛してたプーパッポンカレーを食べてみる………あれこんなもんか
タイもうおなかいっぱいだなーと歩いていると前からコムローイで一緒だったみほさんと偶然ばったり。久々に2日酔いになっちまった
有名な寺院にも行かず
酷暑のなかのソフトクリームのようにデロデロと時間を過ごし
思いもよらず3週間半もいちゃったタイ
ふつーに短期で日本から来て美味しいもん死ぬほど食べてたくさん買い物して遊んで散財して日本に帰りたい、そう思わせる国でした
39ヶ国目 ミャンマー~地球散歩~
ミニバスの青年やドライバーのおっさんの笑顔だけで、もう半信半疑でかかる必要もないんだなと思わされた、ほどの安心感!
空港からミニバス
客全員のそれぞれの宿の目の前まで4,000チャット(≒280円)で送ってくれる!
そっからは宿に迎えが来て次のバス乗り場まで乗っけてくれて次の街の宿まで直接連れてってくれる宿 to 宿!
600円の宿のクオリティが半端ない!丁寧な説明!みんなフレンドリー!バスタオルついてる!超キレイ!朝食までついてる!
ローカル食堂にて100円のヌードルに付け合わせのスープ!テーブルにあったかいお茶!!!
………インドで感覚麻痺したかな
いやでもおもてなし精神がスゴイ
街中でも向こうからはほとんど話しかけてこないけど、こっちからハローとかミンガラーバ! (こんにちは)って声かけるとみんなニコニコしてくれる。でも英語ぜんぜん喋れない人もかなり多くて、「話しかけられちゃった英語しゃべれないちょっと誰か助けて~」ってはにかんでまたニコニコする。
朗らか、純朴
そんな印象のミャンマーピーポー
もう好きだ
黄金の寺院、電飾で着飾られたブッダ
国が違えば宗教も変わるんだなぁとしみじみなる。しかしデコレーションがすごい。当人たちは真剣なんだろうけどどうしてもふざけてるようにも見えてしまう多種多様な表情
男性陣の多くがロンジー(スカートのような布)を履き、男女問わず多くの人がタナカと呼ばれる日焼け止めを塗っている
朝でも夜でも室内でも関係なし
雨季でも塗るんだろうか
しかしこいつ目つきわりーな
散歩してるとセパタクローボーイズに遭遇、迷わず参戦
竹を編んで作られたボールは綺麗な球になってて割と丈夫、裸足で蹴ってもそんなに痛くない
言葉なんて全く通じんけどどうやら相手チームが負けて、腕立てをやらされてた。罰ゲームは万国共通だね
喉を潤すべく暇してるバイクドライバーとウイスキーで乾杯。1杯驚きの20円。
インドもそうだったけど、欧米人が多くくるスポットはお洒落なカフェとかピザとかハンバーガー頼めるレストランとかが多くて、たいてい皆そうゆうとこにいて、汚い屋台に群がったりしてるのはあんま見たことない。長距離バスのメシ休憩とかもお菓子で済ませたり食べなかったり。毎食アジア飯は彼らにはツライもんがあんのかな
長距離バスなんてすごいんだよ全席に毛布まで付いて!その前に強めの冷房を調節しろよと。しかし宿とバスにめっちゃ気合い入ってるなほんと。まず観光業に力入れてるんです感。そんな国策が垣間見えてる気がしなくもない。
そしてひとつ思ったこと
英語が全然話せないのに話せないなりに頑張って話そうとしてる現地の人を冷ややかに嘲笑う感じの態度をとる一部の欧米人。嫌い
そっち側に立つのは英語できない者同士だからか自分と同じアジア人だからか
そしていつでもどこでも大自然スポットやトレッキング情報持ってる欧米人。ずるい(いいな)ロンリープラネットていいんだな
炒飯とヌードルを拠点に色々手を出していくスタイル。豚のホルモン串に焼き鳥、カレー、肉まん、野菜やバナナの揚げもの、ホットケーキみたいなスイーツまで。だいたい美味いけど油っこい仕上がりが多い。どのテーブルにも温かいお茶が常備されてるのはそうゆう事なんかな、と思ったり。
でも油っこいメシ多いくせにデブはほとんど見ない。やっぱりお茶が一役買ってるにちがいない
雰囲気とか人の感じとかどことなくインドに似てるなーインド料理屋もインド人もよく見るし口調とか時折流れるお経のような唄とか
若い子もしくは若く見える人が多くてみんな若くから働いてる
可愛らしい子も多いし
君かわいいってミャンマー語で言ってみるとみんな恥ずかしがるみんなシャイ
三十路ホヤホヤのおっさんが何やってんだかと冷静に考えれば気持ち悪いな冷静にならないようにしよう
初日から好きだなと感じたミャンマーピーポー、後半になるに従って意外や意外、嫌なとこが目につくようになる
それは煙草
男はよく口内が真っ赤になるキンマという噛み煙草をモゴモゴしてるヤツが多く、所構わず路上にカーッペっと吐血に似たタンを吐き出している、のは50歩譲っていいんだけどその煙草が、妙に臭い。至近距離で話されると赤黒い色が染み付いた汚い歯とモゴモゴ感、そして臭いとが……ほとんどみんなとてもいい人なんだけどねぇ
体内に摂取しすぎると良くないから吐き出すんだと。正確には煙草じゃないんだけどニコチン含まれてて、歯に着く赤黒いのは2,3年取れないらしい。
キッカケはインレー湖にて
湖をボートで周り伝統工芸や文化、暮らしに触れる超観光っぽいデイトリップをした時
伝統的な漁師がいるってことで、ほんならぜひともボートから自分でインドで買った釣り糸と針で釣りに挑戦してみたかったんよ
事前に釣りは可能か、ボートドライバーは英語話せるか、など聞いといたし釣りしたい旨をドライバーに伝えといてとも言っといた、のに結局釣りさせてもらえずドライバー英語わからず話通じず終いには帰りにボート壊れて修理に時間くって
ちょっと言ってたことと違うぞーっつって物申してた時の相手のボートオーナーから赤煙草ペッペッしながら醸しだしてた臭いがもう…
ありゃちょっとヤだね
行けると思ったミャンマー北部からタイへの入国経路は外国人不可だとその時知るし(でも後々そんなことはないと豪語する人にも会う)
出発する直前に次の日にその近くで祭りが始まるのを聞くし調べなさすぎて超定番観光地しか行けてないし
もちろんバガンの気球とパゴダと朝日の組み合わせは素敵だったしインレー湖の人々の水上での暮らしぶりは面白かったけど
パアンて田舎での登山で筋肉痛やばいし洞窟探検も良かったけど
修道院で修業中の若僧たち
やっぱ田舎や自然が好きだなー人も景色も、と思うからこそ
もっと秘境があったんだそれなのに
色々見逃した
それも旅なんだけどね
いや、デブほとんど見ないはさすがに言い過ぎた
38ヶ国目 インド後編~地球散歩~
電車運はいいらしい
ほとんど全部時間通りに出発する
ここアグラではムスリムの人たちがよく目につくようになった。これまでの経験上ムスリムの人たちは総じていい人ばかり。トゥクトゥクのムスリムのおっちゃんとはうまが合いすぎてせっかく値切ったのに少しチップを上乗せしてしまった。
バラナシじゃなくても牛はふつうに闊歩してるし火葬するし沐浴するんだなぁ
少し靄がかった日の出前のタージマハルはさすがの佇まいでかっこよかった。しかしたったひとりのためにここまでの墓を建てるなんてピラミッドといい昔の人は故人を盛大に葬りすぎである。と、当時の人々の思いに馳せるというわけでもなく、風俗がどうだのおっぱいがどうだのそんな下世話な話を宿がかぶったゆうき君と延々しながら白く大きい建物を眺めてた。
タージマハルの目の前の細い路地では年に1回?のお祭りだなんだっつって、爆音音楽クラクションラッパ太鼓ブブゼラ大きい音出したもん勝ちのただただやかましい催しが人々の関心半々ぐらいの勢いで行われ……あー思い出しただけでもうるせぇ
背中や腰付近に痛みを感じる
固いベッドで寝過ぎたのかなちょっと疲れがたまってきたのかな
15キロのバックパックと気だるい疲労感を全身で抱えながら、ゴミゴミした通りを右往左往して宿を探す。全然丁度いい安宿が見つからずもここでいいかと妥協した部屋に入るなりベッドに突っ伏すこと2時間
目が覚める
視界の先に小さい茶色い虫が見える
……これアレか
刺されたら死ぬほど痒いと噂の南京虫、ベッドバグてやつか
よく目を凝らすと5,6匹はいた
こんなとこで寝てたまるか
いやもう2時間も寝ちゃったんだけども
宿泊キャンセルを要求するも半額しか返金されず、他の部屋にも虫がいたら全額返金の賭けに出るも、短時間じゃ見つけられず。250ルピー(≒380円)を失い別の宿に駆け込んだ。
頭痛もはじまり、関節痛、筋肉痛、たまに寒気、たまに熱っぽさのローテーションでぐるぐるぐるぐる
こりゃ風邪だな
寝すぎると起きたら足元フラフラになるでも寝とく以外やれることない横になるのも身体痛い、、くそ
2日間安静にしてた
居合わせたそーちゃんにロキソニンもらったりしたけど回復せず(ロキソニンありがとう)
病院行きを決意
はじめて熱を測り驚きの39度
血液検査のち発覚
診断結果 デング熱
んなわけあるかい
まじか
インドの蚊に屈する
薬を飲み点滴を2日打つだけで、ほとんど頭痛も関節痛もひいたが、血小板の数値が1.5以上なきゃいけないのに0.8→0.6と下がってしまっていた。でもほぼほぼ症状は無くなったしじきに数値は回復するだろうとの事。
幸いにも南京虫の死ぬほど痒いらしい症状が一切出なかった。噛まれなかったのかはて。
コルカタやバラナシとちがってなんか人がウザったい。強引に腕掴んでくる。でもデング熱って言うとたいてい薬飲んだか?とか薬局あそこにあるぞ、とか心配してくれるから根はいい奴らだきっと。
何もしなかったニューデリーを離れて、ジャイプールという町へ。朝4時、カウチを通してラッキーというインド人と落ち合う。普段はトゥクトゥクドライバーをしているということもあり、トゥクトゥクでお寺などに無償で案内してくれたけど、それよりも面白かったのが彼の家で近所の人を集めてホームパーティーがありそこにお邪魔したこと。パーティーっつってもただカレーソースみたいのを大量に作ってもてなして食ったらみんなすぐ帰るフランクな感じなんだけどね。これが辛いのなんの
ラッキーの自宅には泊まれないとのことなので友人のホステルとやらに無料で泊めさせてくれてた夜12時ごろ、鼻血の感覚で目が覚める。
上を向く
血が喉を流れていく
結構な勢いで。全然止まる気配がない
ティッシュを鼻に詰める
秒で真っ赤に染まる
バスルームに駆け込む
ポタポタポタポタ
あっという間に洗面台が真っ赤っか
鼻をしばらくグッと抑える
離す
バシャっと流れ落ちる
1時間が過ぎた
一向に止まる気配がない
この辺で気付く
……血が固まらない
ははぁ
いま血小板の数値が低いから血が固まらんのか
即効性がある事を祈って、血小板の数値を高める錠剤を飲みひたすら流れ続ける鼻血と格闘する
いつのまにか4時間経った
少しも改善せず
どのくらい血を流し続けてるのだろう
これ、ヤバイかも
寝てるスタッフを起こして、病院に行きたい旨を告げると、そのスタッフはラッキーを呼んだ。まぁまぁ距離のあるラッキーの家からトゥクトゥクで来てくれて、対応してくれそうな病院を2,3転々とし、ようやく応対してくれる先生を見つけてくれた。応対といっても、50㎝ぐらいある細長いコットンを全部両鼻に詰めまくりガーゼで固定するというもの。詰める作業が痛すぎて悶絶。
そっからほぼ2日
鼻が完全に塞がった状態で過ごす
口呼吸は口内を極度に乾燥させ、安眠もできやしない。デングそのものよりもこのハナヂフィーバーまぁキツかった。
兎にも角にも、早朝から駆けつけてくれて、ヒンドゥー語で全部対応してくれたラッキーには本当に感謝しかない。さすがに何百ルピーか請求されたけど、君がいなければコットンを鼻に詰めまくられるところまで一人で行き着かなかったかもしれない。ありがとう。
その後、デング熱を完治させたほうがいいのではないかとの事で、別の大きい病院に行ったが対応がクソすぎて帰ってもう次の街に行くことに決めた。
乾き激しい寝台列車にて口内乾燥と闘いながらなんとかやり過ごし、ジャイサルメールという北西の砂漠の街に到着。
宿に着いた時点で40時間経過。平気そうだったから丸2日は付けとくようにと言われたコットンを恐る恐る鼻から抜く。
全部抜いた瞬間血がツーっと垂れてきた時は絶望したけど、すぐ血が固まってきた手ごたえ(鼻ごたえ?)を感じたぶん完治。ふぅ
その街では砂漠を行くラクダツアーが定番だけど、なんで来たんだっていうぐらい興味が湧かず。砂漠の目の前の村までバスで行き、自分で砂丘を登り、テントを張って一晩過ごしてみたけど、特に感動はなかった。ここも、モロッコのサハラのようにまぁまぁツーリスティックな砂漠と化しており、砂丘の上で座ってた時にビールを売りに来るオッサンが現れた時はさすがに笑った。(買った)
その後、ムンバイを経てゴアまで2日かけて一気に南下。予想外のいい雰囲気のビーチで、リラックスムード突入。
味に深みありまくるおっさん軍団と宴会スタート
北インドとは確かに色々違う
気軽にカレーを差し出してくれる屋台が減っちゃった。しかもドロッとしてなくてシャバシャバ系が多く、パクチーが入ってきた。
チャイ屋も減ったし料金も倍になっとる(10ルピー≒16円)ジンジャーが強くなっとる
驚いたのが食堂のメニューに牛肉使った料理もあるし豚肉使った料理もあったこと。なんならヒンドゥーのインド人は牛は神格化して食べないけどバッファローは食うからね、彼ら。もはやほぼ一緒やろそいつら。極め付けは牛に重そうな台車を引かせてたのを何回か見たこと。神ちゃうんかい
ゴアでもカウチ
チョートゥと名乗る彼はとてもユーモラスでファンキーなとっても面白いやつ。マナリという北インドの街で半年レストランで働き、マナリが寒くなりゴアの雨季が終わることにゴアに移ってきて半年間仕事せずひたすらビーチでのんびり。半年後また働く、というライフスタイル。そんなインド人もいるんだなぁと。自分が関わった中だけでも、インド人の収入格差は本当にピンキリだと実感。でも今でも根付くカースト制も、都市の一部や内陸の田舎などにまだ強く残るぐらいで、昔ほど大半の人々は意識してないらしい。と、チョートゥから聞いた
そんな彼と、彼のルームメイト2人、落ち着きのあるアヌゥーとヤク中のティンコ(実名)の3人の家に転がり込み、カレー食べて海行って酒飲んで葉っぱ吸ってを繰り返す3日間
浅瀬で貝100個以上拾って貝カレー食べたりもした
ゴアにはなんでかロシア人とイスラエル人がかなり多く、5,000~20,000ルピーなんかでロシア女をインド男がよく買うんだと
<お知らせ>
優しい性格と面白い人柄のチョートゥ(32)には以前日本人の彼女と結局疎遠になっちゃった過去があり、結婚するなら絶対日本人‼︎と声を張り上げてます。伴侶にはもれなく3ヘクタールの畑をプレゼントをお約束。もし売れば大金が手に入るそう。温泉地マナリとビーチリゾートゴアを行き来する自由なインドライフを送るも良し。日本に連れてきて一緒にインド料理屋オープンやってくも良し。一度チョートゥに会いに行くための日本からの航空券代は出してくれるそうです。興味のある方はぜひご連絡を☺︎笑 (写真右2)
そんな彼らと別れ、助言通りにゴアの主要駅に9時に着いたら、次の目的地までの1時間おきの電車なんて無く、1日朝7時の1本のみと言われ。あいつらー最後にやりおったなー‼︎と思いながら1日でトータル9台のローカルバスを乗り継ぎ乗り継ぎ、どうにか内陸の岩の街ハンピに到着したのは22時。
着いた翌日
三十路の記念日を迎えた
誰かに祝ってもらいたかった前年のヨルダンでの誕生日とは逆に、今年の節目は1人で染み染み色々考えたり考えなかったりして過ごそうかなと。
岩に囲まれてぼんやり夕日見て
こんな誕生日も悪くない
チョートゥ達に、誕生日一緒に過ごそう!ヤギ一頭買うんだ! と言われて超悩んだけど今回は前々から決めてたから岩の上で過ごすことにした。インドのみに限った事じゃないけど、誕生日は当事者が仲間を募ってお金を出して料理を作って仲間をもてなすらしい。日本と逆だね
英語でのお祝いメッセージが増えたのも嬉しい
捨てね 夢 明日向けて打て
三十路街道 ハイドー 今日も快調!
ハンピはこれまでのインドで一番居心地がよく、名残惜しかったかも。相変わらず要所要所で牛糞臭いけど人が粘っこくないしみんなよく笑う。お茶目。
1週間ぐらいいて、特にバイク借りて遺跡を周るわけでもなく、いつもの屋台で朝食べていつもの面々とぐだぐだしゃべり、岩登って夕日見たあといつものメシを食って寝る。そんな毎日。
宿のマーサとサロメ
ジキジキ大好き商店じじい
Tシャツ屋のキャットとそのお父さん
ウォーターフォールあんちゃん
バナナばばあ
口ひげバス会社員
ゴビライスのおっさん
屋台のじっちゃん
チャイばばあ
みんなと別れが惜しかったなー
隣町まで釣り糸と針を調達し、おっさん達の助言通りチャパティ(ナンみたいなやつ)の粉と水とバナナをこねてエサ作って川で釣りを試みたり。本当センスないな1匹も釣れんし。
子ども達に襲撃され釣りやりたそうだからやらせてあげた。5,6人いた中のおそらく一番年上のリーダー格の子が、何も釣れなくてエサも使い切って針も壊してから最後、「釣ろうと代わりにトライしたから20ルピー」って言ってきたのを見て、こいつ順調に成長しとるなぁ。と染み染み感じ微笑ましかった
女の人のサリーはどこでもカラフルでキレーだし
where are you from?の質問にジャパンて言うの飽きたからパキスタンてブラックジョークで答えると大抵笑うし(インド×パキスタン仲悪い)
生きててお互い人に迷惑かけるの当たり前精神だからか"ありがとう"と"ごめん"を言わないし
知らないと応えるのは美徳に反する(?)からなのかわからなくてもテキトーに何かしら言っとけ精神だし
濃ゆーい人たちを相手に
インドかなり面白かったな
最後にバンガロールて都市でバカうまラッシー3杯飲んでインドおしまい。美咲ちゃん最後お世話になりましたありがとー
あ、マナリは言ってみたかったな
さらばインド!
38ヶ国目 インド前編 ~地球散歩~
コルカタの空港の自動ドアが開いた瞬間、湿度の高いむあっとした空気が一気に“旅感”を蘇らせた。
言葉が通じない人がたくさんいる。
タクシードライバーに「バス?ねぇよ」と言われながらバスのりばを探し当て乗り込む感じ。
すべてが懐かしかった。
また旅が始まったんだなぁ
インドでもUBERは浸透してて専用乗り場があるほど。日本はこの先どうなんだろか
ATMで下ろしたての大きい2000ルピー(≒3,100円)札を細かくくずし忘れ、乗ったバス賃60ルピーも次のバス賃7ルピーも水の10ルピーも、お釣りがないと払うのを断られ、結局タダで宿まで辿り着いてしまった。お釣りがないというのは割と発展途上あるある。旅人のマナー(?)を怠ってしまった。ぼったくりにやられない以前にきちんと払うべきもんは払わないとと、初日から少し反省。
チャイデビュー
素手カレーデビュー
左利きのインド人はどうしてるんだろう。あまり今は関係ないのかどうなのか、とか思いながら頑張って右手で隣のインド人の真似しながら食べる。
聞くと利き手関係なくみんな右手で食べるんだってね
カーリー寺院という場所で、神に血を捧げるべくまさにギロチン台のような台にヤギの頭を固定させ、両手足を掴みながら一気にナタのようなナイフで首をブッた切る光景を目の当たりにした。それほど血がドバドバでるわけでもなく、切られた後も頭も目も胴体もしばらくジタバタ動き続けてた。間を空けず別のヤギが連れてこられ、祈りの言葉とハイビスカスのような赤い花びらを投げかけられ神の御前で生贄に捧げられてく。
あまりにも宗教的で衝撃的な光景に思わず合掌をした。
切った胴体は幼い子供たちによってすぐ近くの調理場に運ばれ、大人が片方の後ろ足を紐で縛り吊るし、皮を剥いでいく。慣れた手つきでものの10分で服を脱がすかのように皮が剥がされ、肉や内臓を切り分け終える様は、見事で一種の感動さえ覚えた。正直美味しそうだとさえ一瞬思った。そして男達が各部位を競うように袋に詰め込み買っていった。
ただ家畜が人の食糧になっただけ。
ただ意義や手法が違うだけで、やってることは日本とも変わらない。宗教なんてひとつの生きる道しるべであって、何人だろうと何教だろうと結局同じ人なんだなぁと。ただ、祈る姿は真剣そのもので、おそらく神に汁を捧ぐべく真剣にココナッツをその場で砕き割ってる、その行動は当然理解し難いものだった。
駅ではみなさん個性出しまくり
一番安い等級の寝台列車で14時間
聖地バラナシ 1週間の滞在
ひとりで路地という路地を歩き
毎日3,4杯7円のチャイを飲み
好き勝手ゴミを漁り糞を垂れる牛(神)を避け犬をかわし悪臭漂う道は口呼吸をし屋根を走る猿を見上げ
はじめてガンジス川を眺めた時
濁りに濁った水とモヤがかかったその色合いがなんだか神秘的に見えた
でもそれ以降は、ただの汚い川に見えた
地元民と沐浴
少しヌルッとした感触は先入観か実際の事か
3回潜ったあと何を祈るべきだったのか
翌朝トイレに3回駆け込んだのみでこれといったひどい体調不良にならなかったのは親に感謝しなくちゃな。
プジャーというお祈りの儀式が毎晩ガンジス川沿いで行われる、その雑多な様子はなんだか多くの人が詰め寄る日本の花火大会に似てた
ひとりで気の済むまでガンジスをぼーっと眺めた
早起きしてガンジスの朝日を拝んだ
早朝からガンジスで体を清める人たち洗濯する人たち
早朝ヨガを体験してみた開始2分で苦痛を感じた
乞食でも客引きでも暇人でもできるだけたくさん話をした
火葬場で実際に遺体が焼かれるのをじっと見つめた
狭い路地でクリケットして遊ぶ中高生に混じってみる。打席に立たせてくれたけど豪速球を投げられ振る事もできず。なんだよ手加減してくれよ
インド映画を観てみた。
ひとりの美女が学校をいい成績で収めロンドンの大学への進学が決定。その子に祭りでイケメンが一目惚れ。デートを重ねいい感じだがピザにケチャップをかけるかけないで大喧嘩。スッキリしないままロンドンへ旅立つ美女。仲間に押され追っかけるイケメン。クリスというロンドンボーイが新しい彼氏なのか‼︎と落胆するが結局そいつはゲイでした仲直りしてめでたしめでたし。
字幕なしのヒンディー語だけどまぁだいたいこんな感じ。2時間半の上映中に途中謎の20分休憩。やっぱり終始踊る、踊る。インド人のリアクションがおもしろかった。
マクラメをあげたらラッシーをタダで飲ませてくれた
「顔剃りをしてやろう。グッドカルマをしたいんだ。金は不要だ。おまえがハッピーなら俺もハッピーさ」座ってたら話しかけてきたその男に手入れをしてもらった後、彼は20ドルを請求してきた。
じゃあ、とマクラメを渡そうとすると頑なに拒んだ。「マネー、がほしいんだな?」と聞くと「何も要らないよ、ハッピーなら俺は満足さ」そう言い残して彼は去った
何杯もチャイを奢ってくれたお土産屋の客引き
ラッシー屋の兄ちゃん
いつも決まってバイクに座ってるヤツ
死ぬほどシモネタ大好きなボート漕ぎ
出る頃にはだいぶ顔見知りになったヤツらと、別れるのが少し淋しくもなった。
あの手この手で騙しそうとしてくるその手口が興味深く、時々イスタンブールのあのベリーダンスじじいを思い出させた。
悪いヤツうざいヤツなんてひとりもいない
今のところは。
いや2,3人はいたか
あんな狭い路地でこっちが避けるありきでクラクションうるさくあんなスピードを出すんじゃねぇよバイク野郎タコ
何倍もの金額をふっかけてより稼ごうとする者たち。仕事なんてハナからやる気のなさそうな者たち。沐浴もお祈りもたまにしかやらない者たち。
何かを感じ取ったようで考えたようで、何も消化できてない、そんな後味を、一番安い等級の寝台で感じる
とにかく自分のそれとは遠くかけ離れた人生を歩む人々が、そこにはたくさんいた。
37ヶ国目 オーストラリア~地球散歩~
バナナはひとつの茎に多くて13房ぐらい成っており、収穫まで保護のため茎ごとビニールに覆われている。その中が冬の間はどうも居心地がいいらしく、いろんな生物に遭遇した。朝晩の冷えや、外敵から身を守るのに丁度いいのだろう。
ゴキブリにバッタ、トカゲにネズミ
ヘビにコウモリ
ミツバチが巣を作ってることもあった。
一番驚いたのが結構でかめなイグアナがいたこと。
一番不思議なのがカエル。
バナナの家に大地震のような衝撃が突如襲い、ビニールの外壁が破られ瞬く間に家が解体されていくまるでパニックSFさながらの絶体絶命の出来事なのに、微動だにしないカエル。人に捕まえられても平然としてるカエル。
カエルよ。どうやっておまえは今まで生き延びてきたんだ。
そんな感じで半年間オーストラリアで過ごしました。朝5時過ぎ起きの早い時は21時就寝生活。
最初は幼馴染おゆきと来豪して、いきあたりばったりな彼女はすぐシドニーを経てセブに移ってったから、一緒に過ごしたのは1週間くらいだけだったけど、うーん何したっけな。とにかく3,4月のケアンズは雨がひどくて毎日のようにどしゃ降りだったよね。でもその合間を縫ってグレートバリアリーフでシュノーケリングやったね書いてて思い出した。海が綺麗とか魚がたくさんとかよりも船酔いで死にそうになってたのが一番印象的だけど、いい思い出として残ってくれてたら幸い。友達カップルにバッタリ会って4人で飲んだりもしたね
そのあとは約1年ぶりのセブ留学以来りか&らいとの再会
2人が俺に合わせて遠い街から5日ぐらいかけてケアンズまで来てくれて、仕事見つけてくれたおかげで何も面倒くさいことなくワーホリ生活がスタートできました。ありがとう。
写真を見返すとたくさん振り返りたいことがまぁ出てくる出てくる。
海行って酒飲んで歌って肉食って釣りしてスポーツして。3人とも太陽大好きだしたぶんどこで再会しても結局やることは同じなんだろうなとつくづく思う。
楽しいことばっかってわけでもなかったんだけど、ひっくるめて全部大事な瞬間。
これからもお互い楽しいこと苦しいこと腐るほど出てくるでしょうよ。この半年で得た経験、お互いかけあった言葉を大事にしていけたらいいね。
バナナが忙しくない時なんかは、自分で日本の5円玉を使ってマクラメ作って路上で売ったり習字道具使ってオージーの名前を漢字で書いてあげたりしたなー
そんな40ドル稼いだ50ドル稼いだなんてのが耳くそに思えるほど終盤はカジノ行って散財。人って半年で変わっちゃうのねぇ。。まー経験が大事よね。そうそうそうそう
アボリジニの友達を作ろうと思って街なかでたむろしてる奴らに声かけたりとか、サッカーを本格的にやりたくて地元チームの練習に飛び入り参加したりとか
バナナの先っちょにある花びらのカスをむしった先から出てくる白いネバネバを舐めたらすごく苦かったとか
泊まりがけで飲みすぎたキュランダ事件
見たことのない景色だったホワイトヘブンビーチ
植木鉢と市販の網で自作した七輪での炭火焼きは格別で
月が海面から上がった瞬間地球感じたビーチキャンプ
仕事後の筋トレでダイエット成功
マリファナでトチ狂ったやつ
十人十色の恋愛観
仕事でほぼ全部の指が毎日つき指状態
約10ヶ月切ってない過去最長のやりようのない髪の毛
もう二度と関わりたくないスーパーバイザー
優しさ溢れたクレイジーな韓国友だち中国友だち台湾友だち、そして日本人友だち。
パースとシドニーに足をのばした時に会ってくれた友だち達も、ありがとね
前もどこかで書いたけどやっぱり自分は誰かに助けてもらう才能がある。っていうか甘えまくりというかほぼ毎日みんなの優しさに触れまくりのというか。自分はいつ他の誰かに受けた恩を還元するのだろうかできるのだろうか
年下だろうと自分にないものいっぱい持ってる
本当に感謝で出会えてよかった。別れがすごく寂しいと思える関係になれてよかった。
総じて思うのはまーもちろん自分を含めてワーホリに来るやつなんかたいがいどっかオカシイやつなんだなーと。同じシェアハウスの中で同じ職場の中でいろんなイザコザがあって恋愛があって問題があって、本当人は千差万別で
総じて、オモシロい。人って。
でも心の底から楽しめたわけじゃなかった、ワーホリ。
底から5cm上まではめちゃくちゃ楽しかったけど。
Don't worry,Be happy
なんてよく言ってたけど気を抜くと自分自身を心配してる自分がいて
年齢もそうだし
「人生の夏休み期間」って言葉がワーホリにはしっくりきて
脳みそを使わない毎日。ただただ楽しかった。かけがえない友達ができた。みたいな。はて
最長2年の単純な仕事でまぁまぁ稼げて遊べて楽しい海沿いのハッピーライフ
それで人生最高じゃんオッケーじゃん
と思い切れる自分?
でも結局ね、なんだかんだ「フツウの人生」を歩みたくなかった学生時代の思いのまま今生きてて、同年代の結婚子育てとか見ていつか自分もできたらいいなーとか思いながら、ポジティブな部分の滑走路に気持ちはいつも着陸するからやっぱオッケーなんだ。
もっともっと、日本って器じゃなくて、地球って器で物事考えるようになったら、
この地球散歩はものすごい意味のあるものになる気がするな。
次の国に行くフライトを買った時
めちゃくちゃワクワクどきどきソワソワした
南米チリのバスターミナルで汚水をかけられ
貴重品もろともバックを盗られてから、半年。
地球散歩後半戦。
ロックワラビー
クォッカワラビー
夢のつづき、はじめます。