38ヶ国目 インド前編 ~地球散歩~
コルカタの空港の自動ドアが開いた瞬間、湿度の高いむあっとした空気が一気に“旅感”を蘇らせた。
言葉が通じない人がたくさんいる。
タクシードライバーに「バス?ねぇよ」と言われながらバスのりばを探し当て乗り込む感じ。
すべてが懐かしかった。
また旅が始まったんだなぁ
インドでもUBERは浸透してて専用乗り場があるほど。日本はこの先どうなんだろか
ATMで下ろしたての大きい2000ルピー(≒3,100円)札を細かくくずし忘れ、乗ったバス賃60ルピーも次のバス賃7ルピーも水の10ルピーも、お釣りがないと払うのを断られ、結局タダで宿まで辿り着いてしまった。お釣りがないというのは割と発展途上あるある。旅人のマナー(?)を怠ってしまった。ぼったくりにやられない以前にきちんと払うべきもんは払わないとと、初日から少し反省。
チャイデビュー
素手カレーデビュー
左利きのインド人はどうしてるんだろう。あまり今は関係ないのかどうなのか、とか思いながら頑張って右手で隣のインド人の真似しながら食べる。
聞くと利き手関係なくみんな右手で食べるんだってね
カーリー寺院という場所で、神に血を捧げるべくまさにギロチン台のような台にヤギの頭を固定させ、両手足を掴みながら一気にナタのようなナイフで首をブッた切る光景を目の当たりにした。それほど血がドバドバでるわけでもなく、切られた後も頭も目も胴体もしばらくジタバタ動き続けてた。間を空けず別のヤギが連れてこられ、祈りの言葉とハイビスカスのような赤い花びらを投げかけられ神の御前で生贄に捧げられてく。
あまりにも宗教的で衝撃的な光景に思わず合掌をした。
切った胴体は幼い子供たちによってすぐ近くの調理場に運ばれ、大人が片方の後ろ足を紐で縛り吊るし、皮を剥いでいく。慣れた手つきでものの10分で服を脱がすかのように皮が剥がされ、肉や内臓を切り分け終える様は、見事で一種の感動さえ覚えた。正直美味しそうだとさえ一瞬思った。そして男達が各部位を競うように袋に詰め込み買っていった。
ただ家畜が人の食糧になっただけ。
ただ意義や手法が違うだけで、やってることは日本とも変わらない。宗教なんてひとつの生きる道しるべであって、何人だろうと何教だろうと結局同じ人なんだなぁと。ただ、祈る姿は真剣そのもので、おそらく神に汁を捧ぐべく真剣にココナッツをその場で砕き割ってる、その行動は当然理解し難いものだった。
駅ではみなさん個性出しまくり
一番安い等級の寝台列車で14時間
聖地バラナシ 1週間の滞在
ひとりで路地という路地を歩き
毎日3,4杯7円のチャイを飲み
好き勝手ゴミを漁り糞を垂れる牛(神)を避け犬をかわし悪臭漂う道は口呼吸をし屋根を走る猿を見上げ
はじめてガンジス川を眺めた時
濁りに濁った水とモヤがかかったその色合いがなんだか神秘的に見えた
でもそれ以降は、ただの汚い川に見えた
地元民と沐浴
少しヌルッとした感触は先入観か実際の事か
3回潜ったあと何を祈るべきだったのか
翌朝トイレに3回駆け込んだのみでこれといったひどい体調不良にならなかったのは親に感謝しなくちゃな。
プジャーというお祈りの儀式が毎晩ガンジス川沿いで行われる、その雑多な様子はなんだか多くの人が詰め寄る日本の花火大会に似てた
ひとりで気の済むまでガンジスをぼーっと眺めた
早起きしてガンジスの朝日を拝んだ
早朝からガンジスで体を清める人たち洗濯する人たち
早朝ヨガを体験してみた開始2分で苦痛を感じた
乞食でも客引きでも暇人でもできるだけたくさん話をした
火葬場で実際に遺体が焼かれるのをじっと見つめた
狭い路地でクリケットして遊ぶ中高生に混じってみる。打席に立たせてくれたけど豪速球を投げられ振る事もできず。なんだよ手加減してくれよ
インド映画を観てみた。
ひとりの美女が学校をいい成績で収めロンドンの大学への進学が決定。その子に祭りでイケメンが一目惚れ。デートを重ねいい感じだがピザにケチャップをかけるかけないで大喧嘩。スッキリしないままロンドンへ旅立つ美女。仲間に押され追っかけるイケメン。クリスというロンドンボーイが新しい彼氏なのか‼︎と落胆するが結局そいつはゲイでした仲直りしてめでたしめでたし。
字幕なしのヒンディー語だけどまぁだいたいこんな感じ。2時間半の上映中に途中謎の20分休憩。やっぱり終始踊る、踊る。インド人のリアクションがおもしろかった。
マクラメをあげたらラッシーをタダで飲ませてくれた
「顔剃りをしてやろう。グッドカルマをしたいんだ。金は不要だ。おまえがハッピーなら俺もハッピーさ」座ってたら話しかけてきたその男に手入れをしてもらった後、彼は20ドルを請求してきた。
じゃあ、とマクラメを渡そうとすると頑なに拒んだ。「マネー、がほしいんだな?」と聞くと「何も要らないよ、ハッピーなら俺は満足さ」そう言い残して彼は去った
何杯もチャイを奢ってくれたお土産屋の客引き
ラッシー屋の兄ちゃん
いつも決まってバイクに座ってるヤツ
死ぬほどシモネタ大好きなボート漕ぎ
出る頃にはだいぶ顔見知りになったヤツらと、別れるのが少し淋しくもなった。
あの手この手で騙しそうとしてくるその手口が興味深く、時々イスタンブールのあのベリーダンスじじいを思い出させた。
悪いヤツうざいヤツなんてひとりもいない
今のところは。
いや2,3人はいたか
あんな狭い路地でこっちが避けるありきでクラクションうるさくあんなスピードを出すんじゃねぇよバイク野郎タコ
何倍もの金額をふっかけてより稼ごうとする者たち。仕事なんてハナからやる気のなさそうな者たち。沐浴もお祈りもたまにしかやらない者たち。
何かを感じ取ったようで考えたようで、何も消化できてない、そんな後味を、一番安い等級の寝台で感じる
とにかく自分のそれとは遠くかけ離れた人生を歩む人々が、そこにはたくさんいた。
37ヶ国目 オーストラリア~地球散歩~
バナナはひとつの茎に多くて13房ぐらい成っており、収穫まで保護のため茎ごとビニールに覆われている。その中が冬の間はどうも居心地がいいらしく、いろんな生物に遭遇した。朝晩の冷えや、外敵から身を守るのに丁度いいのだろう。
ゴキブリにバッタ、トカゲにネズミ
ヘビにコウモリ
ミツバチが巣を作ってることもあった。
一番驚いたのが結構でかめなイグアナがいたこと。
一番不思議なのがカエル。
バナナの家に大地震のような衝撃が突如襲い、ビニールの外壁が破られ瞬く間に家が解体されていくまるでパニックSFさながらの絶体絶命の出来事なのに、微動だにしないカエル。人に捕まえられても平然としてるカエル。
カエルよ。どうやっておまえは今まで生き延びてきたんだ。
そんな感じで半年間オーストラリアで過ごしました。朝5時過ぎ起きの早い時は21時就寝生活。
最初は幼馴染おゆきと来豪して、いきあたりばったりな彼女はすぐシドニーを経てセブに移ってったから、一緒に過ごしたのは1週間くらいだけだったけど、うーん何したっけな。とにかく3,4月のケアンズは雨がひどくて毎日のようにどしゃ降りだったよね。でもその合間を縫ってグレートバリアリーフでシュノーケリングやったね書いてて思い出した。海が綺麗とか魚がたくさんとかよりも船酔いで死にそうになってたのが一番印象的だけど、いい思い出として残ってくれてたら幸い。友達カップルにバッタリ会って4人で飲んだりもしたね
そのあとは約1年ぶりのセブ留学以来りか&らいとの再会
2人が俺に合わせて遠い街から5日ぐらいかけてケアンズまで来てくれて、仕事見つけてくれたおかげで何も面倒くさいことなくワーホリ生活がスタートできました。ありがとう。
写真を見返すとたくさん振り返りたいことがまぁ出てくる出てくる。
海行って酒飲んで歌って肉食って釣りしてスポーツして。3人とも太陽大好きだしたぶんどこで再会しても結局やることは同じなんだろうなとつくづく思う。
楽しいことばっかってわけでもなかったんだけど、ひっくるめて全部大事な瞬間。
これからもお互い楽しいこと苦しいこと腐るほど出てくるでしょうよ。この半年で得た経験、お互いかけあった言葉を大事にしていけたらいいね。
バナナが忙しくない時なんかは、自分で日本の5円玉を使ってマクラメ作って路上で売ったり習字道具使ってオージーの名前を漢字で書いてあげたりしたなー
そんな40ドル稼いだ50ドル稼いだなんてのが耳くそに思えるほど終盤はカジノ行って散財。人って半年で変わっちゃうのねぇ。。まー経験が大事よね。そうそうそうそう
アボリジニの友達を作ろうと思って街なかでたむろしてる奴らに声かけたりとか、サッカーを本格的にやりたくて地元チームの練習に飛び入り参加したりとか
バナナの先っちょにある花びらのカスをむしった先から出てくる白いネバネバを舐めたらすごく苦かったとか
泊まりがけで飲みすぎたキュランダ事件
見たことのない景色だったホワイトヘブンビーチ
植木鉢と市販の網で自作した七輪での炭火焼きは格別で
月が海面から上がった瞬間地球感じたビーチキャンプ
仕事後の筋トレでダイエット成功
マリファナでトチ狂ったやつ
十人十色の恋愛観
仕事でほぼ全部の指が毎日つき指状態
約10ヶ月切ってない過去最長のやりようのない髪の毛
もう二度と関わりたくないスーパーバイザー
優しさ溢れたクレイジーな韓国友だち中国友だち台湾友だち、そして日本人友だち。
パースとシドニーに足をのばした時に会ってくれた友だち達も、ありがとね
前もどこかで書いたけどやっぱり自分は誰かに助けてもらう才能がある。っていうか甘えまくりというかほぼ毎日みんなの優しさに触れまくりのというか。自分はいつ他の誰かに受けた恩を還元するのだろうかできるのだろうか
年下だろうと自分にないものいっぱい持ってる
本当に感謝で出会えてよかった。別れがすごく寂しいと思える関係になれてよかった。
総じて思うのはまーもちろん自分を含めてワーホリに来るやつなんかたいがいどっかオカシイやつなんだなーと。同じシェアハウスの中で同じ職場の中でいろんなイザコザがあって恋愛があって問題があって、本当人は千差万別で
総じて、オモシロい。人って。
でも心の底から楽しめたわけじゃなかった、ワーホリ。
底から5cm上まではめちゃくちゃ楽しかったけど。
Don't worry,Be happy
なんてよく言ってたけど気を抜くと自分自身を心配してる自分がいて
年齢もそうだし
「人生の夏休み期間」って言葉がワーホリにはしっくりきて
脳みそを使わない毎日。ただただ楽しかった。かけがえない友達ができた。みたいな。はて
最長2年の単純な仕事でまぁまぁ稼げて遊べて楽しい海沿いのハッピーライフ
それで人生最高じゃんオッケーじゃん
と思い切れる自分?
でも結局ね、なんだかんだ「フツウの人生」を歩みたくなかった学生時代の思いのまま今生きてて、同年代の結婚子育てとか見ていつか自分もできたらいいなーとか思いながら、ポジティブな部分の滑走路に気持ちはいつも着陸するからやっぱオッケーなんだ。
もっともっと、日本って器じゃなくて、地球って器で物事考えるようになったら、
この地球散歩はものすごい意味のあるものになる気がするな。
次の国に行くフライトを買った時
めちゃくちゃワクワクどきどきソワソワした
南米チリのバスターミナルで汚水をかけられ
貴重品もろともバックを盗られてから、半年。
地球散歩後半戦。
ロックワラビー
クォッカワラビー
夢のつづき、はじめます。
36ヶ国目 チリ~地球散歩~
アルゼンチンからチリに入っても2,3日は気が沈んでた
キャッシュカードとクレジットカード1枚を盗られて、お金はあるのに使うことができない現状に頭を悩ませ、盗った野郎への怒りと自分の失敗への後悔とでもうもみくちゃ
相棒のおじさんにちょこちょこ教えてもらいながら慣れないSkypeの国際電話。テンションの上がらないまま過ごした数日はつまらなかっただろう、迷惑かけたなぁ
残り1枚のクレジットカードでやりくりするためにアレコレ考えた結果、借りたくなかった親の助けを借りる。この歳で何やってんだかもう。またテンションが下がる
でもまだ旅を続けることに決めて、整えてからは恐ろしいほど悪い流れがぶっ飛んだ。
バスを乗るにしてもヒッチハイクするにしても、キャンプサイトを探すにしても天気にしても、すべての判断が尽く良い方向に流れた。
そんな中、2人のチリ人カップルからある「祭り」の情報を聞き、プエルトシスネスという街に向かった。
そのお祭りの名は、「ミンガ」
家を引っ張る、という行事。
向こう岸で作られた家を、こっち側まで海を渡らせて、さらに家を置く所まで引っ張る、というもの。
何のことやらちんぷんかんぷんだと思うけど、そんぐらいしか文字で表せらんないや
とにかくみんなで騒ぎながら綱を手に取り家を引っ張った。
「ミンガ!!ミンガ!!」
「アウトーーーーー!」
「ボタボタ!!」
「サコウェア!!サコウェア!!」
などと叫びまくりながら。
サコウェアって後で意味聞いたら、「バカ」とか「キンタマ」とかそんな意味らしい
今は違う街に引っ越したが元々この街のミンガの伝説的OB、みたいなノリのオッサンに序盤で絡まれ仲良くなった結果、常に最前列で参加させてもらえたし、「こいつらは日本から来たんだ」と大々的に紹介してくれたおかげで盛り上がり輪の中心にいさせてもらえた。
そんな日本人がキンタマキンタマ連呼するもんだから、そら盛り上がりますわな
家が通るのに邪魔な、持ち主の現れない車をみんなで持ち上げて担いじゃったり
小休憩の時にスタッフから差し出されるのは水じゃなくてワインだったり
大休憩の時は生演奏の周りで踊りだしたり
バカでクレイジーで本当に本当に楽しかった。
1週間ほど、チリ特有の民宿のようなスタイルのところに泊めさせてもらって
主のディエゴや青年フェリペをはじめとしたファミリーはみんな揃いも揃っていいひと
フェリペとはサーモン釣りを挑戦したり(残念ながらサーモンは1匹も…)
サッカーの試合に参加させてもらったり
総点:7
フェリペからのマイナスのクロスを冷静にゴール左隅に流し込んだシーンは高評価、とは言うものの、なぜか若者チームとおじさんチームに分れた采配により体力の差は歴然。開始15分で明らかにバテてる選手が続出したが、やはり深緑の綺麗な芝と澄み切った青空の下でのサッカーは、それだけで最高に気持ちよかった。
子供たちと水遊びしたり
お母さんのパン作りを手伝ったり
焼きたてパンやセビーチェというサーモンのマリネを食べさせてくれたり
のんびりした田舎町でじゅうぶんに堪能したなー
ミンガという最高に楽しい祭りと、居心地の良い家族との思い出をひっさげてあとはフェリーとバスを使って北上するだけ。
未だかつてないほどのどしゃ降りでフェリー出航が遅れるアクシデントがあったものの、予定通りのタイミングで首都サンティアゴの空港に到着。相棒のせっちゃんとは、ここからルートが違うので、数日前にさようなら。
丸2ヶ月間一緒に旅した同い年のおじさん。ありがとう。日本で飲もうよ。
さて次の行き先はブラジル!
もともと行く予定はなかったんだけど、
①つい最近100ドルだったVISA費用が40ドルでしかもオンラインで申請できるようになった
②もうすぐリオやらのカーニバルの時期
③突然おだ(高校の友達)からもしブラジル行くならリオ在住の友達紹介するよと連絡がきた
とトリプルパンチを受け、完全に神様がおまえブラじれと言ってきてると確信したのだ
申請から5営業日で発行と書いてあったので3週間あればまぁ大丈夫だろうと3週間後、2月2日の安めのフライトを確保し、空港に向かった。
ビザは2月16日現在、まだ届いていない。
あ、今日はっしー誕生日じゃん。おめでと~
前々からの再三の催促メール、電話も、「正式に受理されてますので、お待ちください」のみ
フライト前日に空港に到着し、ギリギリまで粘ったが結局無情にも飛行機は飛んで行った。
精神的ダメージはでかく、もう空港には用はないのに全く行動する気が起きず、その日も空港でひたすらダラダラして寝た。
またフライトを買って、それまでにまだVISA届かなかったらそんなアホな話はない
VISAを待ちながら、先にペルーに行こう。そう思い立って、空港から市内のメインバスターミナルに戻った。は、いいものの満席ばっかで全然いいバスがない。
ここの会社もバスなかったらどうすっかなーとバスオフィス前に並んでいると、ひとりのオッサンに話しかけられる。
「ここにメインバックパック置いていいから、ここに並びなさい」
そう言っているように聞こえ、そう従った。
その10分後、大粒の水滴がててててん!と身体にかかる感触があった。
首から肩、足へと茶色い液体がかかっている。
くさい。
鳥の糞を水で溶かしたみたいな色と臭い
えっなにこれ、、
するとどこからともなく1人のオバサンが、
「あ~あんた運が悪かったねぇ。上見てごらんなさい」
と身振り手振りで伝えてきたので、上を見ると換気口が
え~うわーあそこから垂れてきたのかよ最悪だ…
もーなんで俺ばっかこんな目に合うんだよ
フライト棒にするわバスないわの次はクソ喰らえってかい
するとオバサンが水とティッシュを取り出して、拭いてあげると優しい手を差し伸べてくれた。
前にしょってたサブリュックを下に置いて、オバサンに水を頭からかけられた。
えっ?そんな頭のほうまでガッツリ汚れてる?
一瞬そう疑問に思ったがそのまま、体は自然とお辞儀するような形で床を見る姿勢に。
ティッシュを渡され自分で床を見ながら拭きながらハッと顔をあげた。
すぐそこに置いたサブリュックがない
えっ?
頭が真っ白になった
うそでしょ
完全にやられた
やっちゃいました
パスポート、残り1枚のクレジットカード、貴重品もろもろ
もう旅は続けられない
ゲームオーバー
換気口下に誘導したジジイ
水ティッシュババア
盗んでったヤツ
たぶん3人組
警察にレポート書いてもらってる時に、泣きじゃくってる女2人と冷静な男1人の3人組のドイツ人バックパッカーが来た。まさかと思ったが、全く同じ手口の同じく3人組にやられたらしい。完全に常習犯。
はぁーーーーーなにしてんだろ俺
でも意外にも立ち直りは遅くはなかった。パタゴニアでの1度目のほうがショックがでかかったかも。保険でお金は返ってくるからなのかなぁわかんないけど。でもどうしても返ってこない、せっちゃんにもらったマクラメとか、ミンガ後どしゃ降りの中最後わざわざプレゼントしてくれたキャップとか旅中に買ったものとかそうゆうのはやっぱショックで辛い。
これにて緊急帰国が決定
ホステルに数泊した後、ミンガで仲良くなったパブロに連絡してみた。彼と彼の家族は快く迎え入れてくれた。ソファで雑魚寝する話だったのに、エアマットをわざわざ買ってきてくれて、いろーんなチリ伝統料理を振る舞ってくれて、本当に心から癒されたよ本当にありがとう!
帰国チケットを買うのに友達に助けを求め、パスポートを新規発行するのに親に助けを求め、残り少ないお金を節約するためにパブロに助けを求め。
本当に自分1人じゃ何もできないんだなぁ
まっさらなパスポートを手に取った時、まるでこれまでの旅が何もなかった事のように感じた。失ったものだけたくさんあって、得たものは何もないような気がした。
でもそんな杞憂もすべて、パブロ一家が取り払ってくれた。本当にもてなしの心がすごくって。
ミンガの街お世話になったフェリペ一家ともパブロ一家とも、今でもしょっちゅうメッセージやテレビ電話がくる。そんくらい自分を家族の一員みたいに接してくれて、心から感謝しています。
そんなこんなで、不本意な帰国。
しばらくは旅中に会った奴らの色んな場所で楽しそうにしてるインスタがウザいと思えてた
自分の不幸中は他人の充実を素直にいいねー!って思えないくらい
器がちっちぇー
ただいま日本
博多明太子、うますぎじゃない?
つづく
35ヶ国目 アルゼンチン~地球散歩~
一時帰国?いや旅終了?どっかで働く?親に泣きつく?
自分は最高にラッキーマンで、本当にこの程度でよかったと
すぐには思えないやっぱり沈む凹む。
シズゼンチン。ヘコゼンチン。
世知辛い国、セチゼンチン。
パラグアイから国境を越えアルゼンチン側から、イグアスの滝を拝む
いつものおじさんと、しんさんっていう数日前から一緒の、新しいおじさんと。
滝はアイスランドなんかでたくさん見てきて、アレを越えるのはなかなかないんじゃないかと思ってたけど、さすが世界三大瀑布なだけあるね。スケールのでかさに圧倒。
アルゼンチンは全てにおいて物価が高く、自炊が常。アルゼンチン米?で作って意気揚々と持ってった塩むすびは、食べるころにはパラッパラに崩れ散り、間違えて持ってきた生卵とバターが潰れて溶けて袋がぐちゃぐちゃ。セチゼンチン。
一度物価の安いパラグアイに戻って、できるだけ安いバスに乗ってブエノスアイレスを目指そうとした俺としんさん、パラグアイとアルゼンチンの南側の国境からヒッチハイクで南下するせいじおじさん。南側の国境まではまだみんな一緒のはずなのに少し別行動をとっただけではぐれるおじさん3人衆。
せいちゃんのヒッチハイクは難を極め(セチゼンチン)、結局前日にブエノスアイレス入りをした俺と合流。しんさんとはそのまま別行動となり、終わったと思ったおじさん2人旅がすぐにまた始まった。景気付けのゼンチンビーフ。格別。
たまにオーストラリアや日本にいる友達から電話がかかってくるんだけど、やっぱり嬉しい。地球の反対側なのにタダでテレビ電話できるなんてほんと世も末である。誰かと飲んでる時とか電話大歓迎だよーーーい
バスターミナルで野宿した次の日から始まった、アルゼンチン中部バリローチェから南部パタゴニアはエルカラファテまで1300キロヒッチハイク旅。お世話になった人ランキングはこちら。
1位タイ(14人)
これから?空港で仕事よ ダニエルさん
近くの町まで ジュニオールじいさん
ルート40はこっちだ! ×▲○#! ダニエルじいさん
困ったら俺ん家こいよ セバスチャン
2人でキャンピングカー老夫婦素敵すぎ アルベルト夫妻
ヒゲがゲイくさい セビオさん
長距離トラック界の重鎮 ハワードじじい
竹原ピストルでボリュームUP アルトゥロさん
ATMボックスで寝ようといた俺らをトレーラーハウスに呼んでくれたATM管理会社のおっさん
なんでおまえら夜中にあんなとこいるんだ! ファビアーノ
ハポネス?おおーん ルイスさん
ああもうしょうがねぇ乗れ! バーテルさん
アルパカとリャマとグアナゴのちがい?もこもこかどうかじゃねぇか JP
見ず知らずのアジアンを乗せてくれる人なんてだいたいクレイジーで、楽しいやつ。優しさとおもしろさに触れまくった。
キンキンの清流流れる川に素っ裸になって入り体を洗い
物価の高さにピーピーキャーキャー言いながらじじいのバーベキューのおこぼれを狙い
俺らの分まで買ってきてくれた菓子パン
その場を諦めひたすら歩き続けたヒッチハイカーをウォーキングデッドと呼び
病院にて注射を手首付近に打ち普通に間違え「ボンッ!」と言い立ち去る謎の新米看護師
道中、相棒せいじくんはのどかな田舎町に2日間胃腸炎で入院した。
腹を下すぐらいはもはや平常運転の彼だったが今回は違ったようだ。なんでも1人でできるプライドをもった2年近く旅してる彼に、ヘルプする度合い、距離感や、同い年の旅歴の遥かに浅い者としてかける言葉が難しかったのを覚えてる。
点滴のみで丸2日飲食を禁じられたおじさんの保険にあやかり、病室のベッドで寝て、シャワーも浴びやりたい放題。食事まで1回ついて、空腹と痛みに悶えてる横で食べるのはさすがに気が引けたのを覚えてる。
公園を散歩してたらサッカー少年たちと出会って少しリフティング。
リーベルプレートとボカ(アルゼンチンの2強)、どっちのチームが好き?と聞かれ「ボカ!」と答えたら満場一致だったようで、ハイタッチを繰り返した。
総じてやっぱりおもしろかった。
1人でやるヒッチハイクと2人でやるのとはやっぱ違うね
2人だとどうしてもふざけちゃう。踊ったり追いかけたり叫んだり。まじめにやるより止まってくれる確率がもしかしたら下がるのかもわかんないけど、こっちのほうがやってて楽しいしドライバーが笑ったりジェスチャーしてきたり、何かしらリアクションをとってくれることが多かった。その一瞬のやりとりが楽しくてもはや笑わせるためにやってるような気がしてた。
1人のほうが冒険感増すし達成感もひとしおだと思うけど、そういった
酸いも甘いも共有できる他人がいるってのもまたやっぱりいいもんだ
おもしろいやつと一緒に居ておもしろいのはそりゃ当たり前だわな
寒くなるからか、アルゼンチン南部はどの街にも飼われてんだかわかんないほどの毛並みのいい大型犬があちこちにいて、総じてかわいい。めちゃくちゃかわいい。大きい犬飼いたいけどマンションだから無理よーなんていう方、ぜひアルゼンチン南部にお越しください。
パタゴニアはエルチャルテン
アウトドアブランド「パタゴニア」のロゴの山が実際にあるところ、その麓の街に夜着いて張ったテントは猛烈な強風にさらされた。中国製のちんちくりんテントはギリギリのところで持ち堪え、どしゃ降りになる1歩手前でレストランに避難した俺らの判断はニジュウマル。
3日後天気が良くなるのを期待して先にエルカラファテという街に行った先にあった
氷河
日差しに照らされ溶けた亀裂から時たまに崩れ落ちる氷河の塊は想像以上の期待以上
そしてエルチャルテンに戻り1泊2日のトレッキングの果てに目にしたもの
朝焼けに染まるパタゴニアの山、フィッツロイ
変わりやすい山の天気、太陽側と山側がどっちも雲がない条件ではじめて見られるこのカッコイイ姿を1発目で拝めた時、自分たちが晴れおじさんで運を持っている男だと確信した。
最高のトレッキングを終え自分たちのこれまでの旅路そして絶景に大いなる満足感を抱え、アルゼンチンを抜けようとした矢先、それに気付いた。
俺のクレジットカードとキャッシュカードがない
しまい忘れ?盗難?旅終了?帰国?まさか自分がこんなことに…
この国はそうだ、忘れてた。
アルゼンチンまたの名を、
セチゼンチン
34ヶ国目 パラグアイ~地球散歩~
あけましておめでとうございます
無事新年を迎えられてよかったです
ダニかなノミかな身体中痒いけど。
アフリカ大陸から大西洋を越えて降り立ったのは南米の丁度真ん中らへん、パラグアイ
空港で夜を明かし、せいじおじさんとバスに乗り込み街の中心地へ向かう。スペインからモロッコに入った時と同じ感じ。大陸が変わるとワクワクするし緊張もする。
ネットで書かれていること、会った人が言ってたこと、世間のイメージと実際自分が感じ体験することは果たしてどれだけ違うんだろう。そして言葉。いかにスペイン語を使いこなすかが中南米を楽しむ要素の一つであることは間違いなかろう。ロシア語がわけわからなかった中央アジアを思い出すなぁ
さて先にバスを降りたせいじおじさん(同い年)はゲイカップルの家へ訪れ親子丼を振る舞いながら美女と飲んだりカップルの喧嘩に巻き込まれないように気使いながら2日間過ごし、こっちもゲイハウスに2日間お世話になりゲイとそのボーイフレンドとゲイの友達のゲイとその友達のゲイで飲んだり地元の食堂連れてってもらったりした。ゲイの楽園パラグアイ(誤解だよ)
ゲイって基本超優しい
人に超優しくなりたければゲイになればいいんだよ(誤解もいいとこだよ)
こっちの人はよくポットを持ち歩いて夏場は冷水を入れて、備え付けのコップに茶葉を入れといて都度水を注いで茶葉が入ってこない仕組みのストローでお茶を随時楽しんでます。コールドで飲むのはテレレ、ホットだとマテ、と言うそう。でましたマテ茶。経済的でいいね。
いろいろ売ってる
お互いゲイの優しさに2日間触れたおっさん2人は再集合して、日本人居住区の近くの日本人ご夫婦が切り盛りしてる宿に向かった。
満席のバスの車内。肌の色はもちろん、窓の向こうからモノを売ってくるばあさんもいないし、ペットボトルやバナナの皮を窓から投げ捨てる人もいない。また別の世界に来たんだなぁと感じた。
南米にはいくつも日系居住区があるらしく、建物の造りが日本式だったり鳥居や神社があったり。日本語を完璧に使いこなす人も。戦争の背景は時に地球の裏側にこんな不思議も生み出すんだなぁ
そこでの年末年始は、まさに「ぼくのなつやすみ」
おじさん達は少年に戻った。
(実際に近年稀に見ぬおじさん率だったらしい)
嬉しすぎた毎朝食べれる卵かけご飯
猫派だったけど犬派になりそうなほど可愛すぎた犬達。宿泊してる少年が適当に散歩に連れてく、というかついて行くというか。何もない自然の中に佇む一軒家から放たれた犬達は柵を開けた瞬間飛び出し駆けまわる。お決まりコースの一本道に沿いながら虫の音の中汗だくになりながら歩くだけで、井上陽水が聞こえてくるよう。
うだうだハンモックで昼寝、
喉乾いて昼間っからビール
冷蔵庫に常に麦茶があるのも最高中の最高。
少しサッカーしただけで股の下が裂けた安っちいズボン。縫ったのにあぐらかいたらまた裂けた安っちいズボン。また縫ってやるこの野郎
自分たちで火を熾して沸かす五右衛門風呂はロマンしかなかった。
錆びが溶けて赤茶色くなったお湯がこんなにも気持ちいいとは。
めちゃくちゃ優しいゲイよりも遥かに優しいお母さんが作ってくれた餃子、すき焼き、鶏の唐揚げ、そーめん、味噌汁などなどの日本食、、、思い出しただけで泣ける(心が)
犬猫はもちろん、通りすがりの牛の額を運転席からぶっ叩く豪快なおとーちゃんならではの豪快なアサド(BBQのこと)は迫力満点。デカイ肉に夢中でかじりついた。
みんなで釣った魚をまたまた豪快に焼いて食ったり唐揚げにしたり。
ご近所さんの敷地内の食べきれないほどのマンゴーを摘む僕らの横で、お母さんが手作りの餅を渡してた。物々交換がまた田舎臭くて気持ちいい。もちろんマンゴー食べ放題。
晩めし時に必ず媚び売ってくる猫たち。
夜な夜な虫掃除してくれる蛙たち。
屋上からの夕陽
スーパームーンもはっきり丸見え
すべてがワイルドですべてのスケールがでかくてご夫婦の器がでかくて
年越しはみんなで神社に。年越しに除夜の鐘を鳴らしたのは初めてかも。
無料で提供してもらった蕎麦も食べて初日の出も見て、日本にいる時より日本っぽい正月だったなぁ
餅入りのお雑煮は美味すぎて吐きそうだった(心が)
おじさんがおじさん達と過ごす5日間の「ぼくのなつやすみ」は一瞬で終わってしまった。もちろん中には3ヶ月いる人、発ったけど戻ってきた人とさまざま。出発するのが本当に面倒くさくなるほど心地良かったけど何よりもメシが美味かったけど、
人には人の、ペースと人生。
2018年、
「自分に自信をもつ」を掲げて
もう少し地球を散歩します
行かずに死ねるか2018始動
神社でひいたおみくじは、末吉。
『恋愛 : あきらめなさい』
じ自分に自信をもって…いこう…
33ヶ国目 南アフリカ~地球散歩~
ここまで来るともはやこれまであった「アフリカ感」がなく、ヨーロッパのような雰囲気さえあるケープタウン。
書き残したくなるような興奮したコトとかはとくになかったなー
カウチで同じく南アに旅行しに来たエクアドル人フェリペと一緒に喜望峰行って
岩の上で昼寝して
ケープペンギンに会いにボルダーズビーチ行って
砂浜で昼寝して
1日運転してくれたフェリペに唐揚げとだし巻き卵とアボカドサラダ振舞って
宿のみんなでライオンズヘッド登って
シグナルヒルの夜景見て
イヴはせいじおじさんと2人でテーブルマウンテン登って
夜はみんなでお好み焼きとケーキ食べて
アフリカをこれから北上する人、同じように南下してきた人
日本人7人ぐらいは集まったのかな
へらへらして酒飲んで
日本語楽ちん
ふつうに楽しいやつ
だらだらしながらもなんやかんや定番の観光スポットひと通り周って
これにてアフリカ旅終了。
ヨハネスブルグ?
恐いしパス
クリスマス?
せいちゃんと2人で食いものと寝床に困りながらおじさん2人で空港泊
そもそも多少の装飾はあるけど土日ってのもあってか街に全然人いない。みんな家族身内でホームパーティしてるんかね
陽気なアフリカ人達と
自然アンド動物
ほんとこれに尽きる
結局ほとんど体調も崩さなかったし危ない目にも合わなかったし紛争地域とか行ってないし当然かもわからんけど、経済まだまだ苦しいような地域でもみんな活き活きしてたというか
よく笑うし元気が溢れてた。
野生動物たっくさん会えたなー
個性豊かな日本人旅行者たちもたくさん
楽しかったな濃かったなアフリカ
地球感じたー!
32ヶ国目 ナミビア~地球散歩~
どうせこの先の人生マニュアル車なんて乗る機会ないだろう。何年かしたら外国もどーせオートマ車で溢れるに違いない。そう思いこみ免許を取ったのは大学1年の時。
大は小を兼ねる
アイスランドでもそうだった。
ヒッチハイクしてる俺を拾ってくれたドイツ人のアイリーンは決して運転の得意なほうではなく、何回も道の真ん中でエンストをおこしていた。そんな女の子が2週間ずっと運転していた。
今回もマニュアル車
助手席や後部座席に乗っかるだけ
なんでオートマしか運転できないんだ俺は!
後悔以外のなにもんでもない
頼りにならない戦力にならない役にたたない
くそっ
劣等感。
ちくしょーーーー
なんでだーー
首都ウイントフックでせいちゃんと「あと2,3人ほしいねー」なんて言いながらレンタカーで一緒にナミビアを周る旅人を探す。彼の打開力はすごい。かなり余分な事をしながら余計な体力を使いながらなんとかしてきた自分に対し、なんとかしちゃうパワーがもっと強い。信頼できる人柄から人脈の広さもうなずける。
南アフリカの石で作ったマクラメをくれた
形がアフリカ大陸
せいちゃんパワーで最安値のレンタカーを見つけ、日本人2人と合流し、4人で5日間駆け巡った。
1日300キロ400キロのオフロード(たまに舗装路)を軽自動車で突き進み
砂漠や海岸、国立公園を周って
自然の中で火熾して食うやっぱりたまらなくおいしい手羽、ステーキ、じゃがバタ、玉ねぎ丸焼き、ニンニク丸焼き…………
日に日に早くなっていくテント設営
地面が砂地だろうが小石であろうが寝袋もマットレスも無くてもある程度寝れるようになってきたところに感じる成長
ハプニングが重なって真っ赤な夕陽に照らされたナミブ砂漠は見ることができなかったけど
1万羽ぐらい期待してたフラミンゴは驚くほど少なかったけど
スケルトンコーストにて楽しみにしてた男のロマン溢れる砂浜に打ち上げられた座礁船、見つけられなかったけど
尖った石にホイールを傷つけられタイヤ交換する騒ぎになったけど
国立公園内でスピード違反罰金1万取られたけど
まっさらな砂丘の上から見た朝陽、それに照らされたデッドフレイ
なんて言えばいいんだろう、語彙力が無さ過ぎてどうしようもないけど、真っ青な空、赤い砂漠、白いカラカラの台地にそびえる木々。その「世界観」がかっこいいと思った
2億頭ぐらいいるっしょと冗談言ってたら実際に3億頭ぐらいいたんじゃないかと思うオットセイ
糞尿なのか体臭なのか強烈すぎる臭いを海岸全体に撒き散らしながら、50代半ばのおっさんのような雄叫びをあげ個を主張しあうオットセイたち。互いを威嚇したと思えば次の瞬間には空を仰いで寝に入るマイペースさが滑稽で可愛い。繁殖期なのかな、夥しい数の赤ちゃんオットセイ。しかしその半分以上、いや7割以上が自分の親がどこかわからず難民化しているようだった。親も親でまるで母性がないかのような無関心さ。きっと産む数も多いけど死ぬ数も多い、数少ない生き残ったやつが命のバトンをまたつないでいく、そんな感じなんだろうな。自分の目の前で親を探し彷徨いながら息絶えていく赤ちゃん。昔"どうぶつ奇想天外"やNHKなんかで動物のドキュメンタリーなんかを散々見てきたけど、実際に目の当たりにしたその光景はかなりショッキングなものだった。自然界、過酷すぎる
エトーシャ国立公園
夜バーベキューをした後、眠い目を擦りながら1時間じっと見つめたキャンプサイト近くの池で見た野生のフクロウはとても優雅で。帰り道に出くわした念願のサソリも特筆せずにはいられない。
朝4時半に起きて覗いた池に現れたライオン
朝方動き出すアナグマの仲間、リス、聞いたことない鳴き声の鳥たち
他の国のサファリとは違い、自分たちの車で動物を探すことができる。
これまでケニア、ボツワナと見ることができなかったサイが突如悠然と目の前に現れた瞬間が、今回の5日間で一番興奮した。
1人でいる時は特に思わないけど、誰かと一緒にいる時何かをしてる時、いつも人に頼って助けられてばかりいるけど自分は何をしてあげれてるだろう、何ができるのだろうとよく思う。今回もついて行くだけで、素晴らしい景色に出会えて、貴重な動物に出会えて、おいしいもの食べれて。
前は日本人と群れたくないとか、たくさん甘えていこうとか、便乗しまくり自分ラッキーとかブログに綴ったりしてたっけな。なんかブレブレだ自分。今はアフリカだしもちろん状況は違うけども。
いつでも、柔軟に
時には流されて
時には断ち切って
フットワーク軽くして
街でたまに見かける泥を体に塗りたくったヒンバ族や独特の衣装のヘレロ族
エリアごとにまったく違う景色が楽しめるドライブ
そこらじゅうにいる猪、鹿、ゴリラ(人間)
なんでだか語尾が「〜ネ」と喋るオネエみたいな男が多いナミビア
見どころたくさん面白い国!